親ガチャというのは、スマホアプリのガチャになぞらえてごく最近流行りだした言葉ではあるけれど、親のせいで恋愛がうまくいかないというのは、何も今に始まった考え方ではない。
古くは、ロミオとジュリエットだって、親が敵同士でなければ悲劇にはならなかったかも知れないだろう。
親という呪縛
親ガチャというのは、親を選んで産まれてこれないという、親への皮肉を含んだ言葉だ。
確かに、奴隷の親の元に産まれた子どもと、王家の親の元に産まれた子どもとでは同じではないだろうし、どちらの親のもとに産まれたいかってことを子どもたちは決めることができないのだから、親へ皮肉を言いたくなる気持ちは分かる。
僕の友人にも京都の一等地にマンションを数棟持っているやつがいるし、彼の生まれは羨ましく思ったこともあったけれど、かと言って、そのことだけで親ガチャに失敗したと思ったことはなかった。
親なども含めた環境というのは、確かに如何ともし難いものだし、子にはどうしようもない。
むしろ、先述の友人などのような環境で生まれたのであれば、親や祖先に感謝する以外にないだろう。最初から与えられているというのは、それだけでも幸運なのだから。
だけど、僕が思うのは、そういった恵まれた環境というのは親ガチャと言えるのか?ってことだ。
親ガチャってのは、もっと本質的なものを言うんだと思うし、多分、そっちも含んだ広義で使われているのかも知れないが、なんとなく世間一般的に使われている様子だと陳腐な皮肉に聞こえる。
確かに環境も大事な要素ではあるんだけど、今を生きている僕らってのは、そんなに不幸な環境に生かされているんだろうか?と考えると、別に親ガチャに外れたなんて思うほど、不幸な環境ではないとも思える。
そもそも、社会に出れば、親とか関係なく自分の力で生きていくわけだし、だったら自分が親になった時に「親ガチャ外れた」なんて言わせないように努力することしかできない。
結局、親ガチャ云々ってのは、「楽したい」ってだけなんじゃないかって印象を受ける。
だけど、本当の意味で親ガチャに外れたと思えることはあるだろう。そして、それが影響して恋愛もうまくいかないってことは、きっとある。
環境より大切なガチャ
ここまで書いておいてなんだけど、ハッキリ言って「親ガチャ」って言葉と発想は嫌いだ。ガチャガチャと生命のリレーは似ても似つかない。ただ、わかりやすいだろうと思って使ってはみたけれど、書いていても吐き気がするほど、卑猥な言葉だと思う。が、この記事では最後まで使い通すと決めたので、とりあえず書く。
先ほどは環境面について書いたけれど、実際に親ガチャに外れたと言えるのは、人間性に当てて使うときだろう。
あんまり汚い言葉を書くのはよくないかも知れないが、クズな人はいる。
偏見かも知れないが、他人を尊重できない人間はクズと言って差し支えないだろう。
そういった親に育てられ、自分も同じような価値観を持ってしまうと、恋愛がうまくいかないことがあるのは、まぁ、仕方ないのかも知れない。自分だけは親と違うように生きよう!とそこにも気付くことなく、変わる努力もすることなく、親を是として生きてきたのだから、それはそれで仕方ない。
だけど、そうでない普通の親であっても、恋愛の障害になることは多々ある。
親の反対などもそうかも知れない。
もちろん、親の方が見る目がある可能性は高いから、その意見を蔑ろにはできない部分もあるし、それを覆すだけの向上心をあなたと恋人が共に持っていなければ、或いは親の言うことを聞いた方が良かったってことはある。
反対されずとも、親に足を引っ張られることだってあるだろう。
子どもに頼る親とかであれば、恋人との時間を邪魔されることで、恋愛がうまくいかなくなることだって考えられる。親に悪気はないかも知れないし、親を優先させているあなたにも悪気はないのかも知れないが、これは男性に多い障害(ハードルという意味)なのかも知れない。
かくいう僕もそうだった。
実際、僕自身に自覚はなかったし、恋人最優先で生きていたつもりだったけど、言動の裏側には親を優先させる思考が働いていたりした。
僕はマザコンじゃないと思っていたし、なんなら親を傷つけてでも恋人を守りたいと思っているんだけど、僕の中にいる裏の僕(これを僕はディープエゴと呼んでいる)は、遠回しに親に嫌われないような言動を取るように僕の思考を操っている。
お陰で、随分と苦しめらたし、今でも断ち切れてはいないようで、ふとした言動にディープエゴが隠れていたりする。
これは自分では気付きにくいというか、気付けないと言ってもいいほど根深いものだ。
だけど、あなたの恋人や大切な人は、気付く。だから、指摘された時には、じっくりと自分の心の中と対話しながら、考えてみる価値がある。
男性なら母親、女性なら父親がディープエゴに影響を与えている場合が多いけれど、同性の親であっても無いわけではないだろう。
何を言っているのかと言うと、僕たちは親の教育や言動に知らず識らず「洗脳」されているってことだ。
それが、本当のハズレ親ガチャだと僕は思う。
これは、親だって気付かずにしていることだし、彼らに責任はない。彼らも今を生きること、子どもを育てることに精一杯で、自分たちが影響を与えるとか考えずに、必死に自分の想いを教えようとしているだけだ。
ただ、子どもは気付かずに呪縛されたまま大人になり、自分の信念とギャップある言動などに苦しめられたりする。このギャップが親の洗脳から来る呪縛、ディープエゴの仕業だということだ。
このギャップがない人は、親ガチャに当たっていると思えるだろう。というか、そういう人はそもそも親ガチャなんて気にしないだろうし、恋愛だってうまくいっているんじゃないだろうかと思う。
先ほども少し触れたけれど、親に責任はない。あなたが大人なのであれば、責任はあなたにある。これは当たり前だ。
だから、きっと僕が親ガチャという言葉に吐き気を覚えるのは、子ども地味た言葉を大人が「正論」のように使うからだろう。言い訳にもならない子どもの発想のような言葉を口にしたら、自分の人生を諦めることになりそうだから、僕は吐き気を覚えるんだと思う。
自分を見つめろ
結局、大人になった僕たちは、自分の力で自分の人生を生きることしかできない。もちろん、そこには多くの人が関わっているけれど、みんな他人には無関心だから、自分のことで必死だから、誰も助けてはくれない。
そして、あなたの恋愛がうまくいかないのは親ガチャのせいかも知れないけれど、それを親のせいにしてはいけない。
そう思ったのなら、そこからどうすれば上手くいくようになるのかを考えるのが、あなたのすべきことだ。
そのためにあなたができることはなんだ?
まずは、自分のことをよく知ることだ。
先ほど言ったように、僕は自分の中にあるディープエゴに気付いたことで、少しは自分らしく生きられるようになってきたし、自分の意思で自分の言動を行えるようになった。自分を見つめ直すことで、自分を知れたからだ。
それをしなかったら、今ごろ僕は恋人にフラれた日(2021/03/13)から独りで落ちに堕ちていっただろうと思う。
だけど、幸いにも僕は自分を見つめ直すことをはじめ、ディープエゴにも気付けたし、今でも事あるごとに内なる自分と対話している。自問自答に終わりはない。
そうして、最近たどり着いた答えがある。
自分を知った先の話
この先は短いけれど、あなたの恋愛がうまくいく方法の話だと思って最後まで聞いて欲しい。
先週末、鹿児島〜徳之島に旅行へ行っていた。
観光ではない。
僕の祖父母が四人とも徳之島出身で、その祖先のお墓があるってことで、お墓参りに行ったのだ。
祖父母たちのお墓は、京都と神戸にあるから、本当に顔も知らない祖先のお墓だ。
何のために行ったのか?と言うと、祖父母の想いを背負って行った。
高齢になってからは島に帰っていなかったから、その想いを叶えてあげようと、もちろんそれは僕の勝手な考え、わがままでしかないけれど、そのつもりで行った。
そして、お墓の前で僕が感じたことは、
「有り難い」
ってことだった。
それしかなかった。
今僕がこうして徳之島にこれていること、しかも、観光でもないのに婚約者と一緒にこれていること、これが有り難い以外になんと思えばいいんだろうか。
そう言うことだ。
あなたの恋愛がうまくいくために大切なこと、僕たちが幸せになるために大切なこと、それは「感謝できるこころ」を持つことなのだ。
感謝するこころじゃない。
感謝できるこころだ。
そんな自分であるためにも、あなたも自分を知らなければならないし、知らないなら知らないなりに、生かされていることに日々感謝することを心がけて生きなければいけない。最初は感謝するって意識を持って生きるしかないけれど、やがてそれが当たり前になれば、何事にも感謝できるようになるものだ。
こうして、あなたが僕のブログにまで足を運んで、時間を割いて読んでくれている、その行為が僕にとって本当に有り難いことだ。
だから、僕は毎日、何らかのメッセージを本気で伝えようとキーボードを打っている。
最後まで読んでくれてありがとう。
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