得体の知れないものに対して、最初からロマンを求めるような定義付けをしようするから、カタチをよく見ることを忘れてしまうってのが、歴史学者たちが陥った罠なんだろう。
何もない時代にあのカタチを成すとしたら、そりゃ確かに身近にあった何かをモチーフにするよなぁと、言われてみたら、まるで幼稚園児のお遊戯的感覚な訳だ。
これは何も土偶だけの話じゃなくて、人は思い込みによって判断や思考を左右されてしまう。
引いてみるとか、深ぼってみるとか、関係ないところと繋げてみるとか、幼児のような発想が出来なくなってしまう。
だから、土偶=植物ってのは、成長と共に思い込みに縛られてるんだなぁってことに気付かさせられる発見だったのだ。
彼女が欲しい!でも出来ない。って問題も、あなたの容姿とか性格の問題ではなく、親との関わり合いが原因だったり、日々の行動が原因だったりするのかも知れない。
お金がない!って問題も、仕事ではなく、支出でもなく、夜更かししてることが問題なのかも知れない。
これらは適当に言ってるだけだけど、問題はあなたの全体と関わり合いがないとは言えないと思うのだ。
あなたの一挙手一投足、言動、思考、態度、環境、いずれかが絡み合って、今の問題の根本となってるなんてことが十分に考えられるって訳だ。
だから、目の前の問題の直接的な原因だけを解決しても、過ちは繰り返されるだろうし、根本が残ってるから解決されようがないってこと。
問題の本質とは何か?
それを見定めるには、多角的に物事を見る目が必要なんだなぁと学びを得た。
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