とりあえず明日から動いて、来週には岡崎市民になろうと思う。
ということで、今日は仕事で大津へ赴いてたんやけど、なんというかやっぱり仕事でわざわざ行く距離ではないなぁと。まぁ、仕事の規模にもよるけどね。
岡崎まで通ってた頃はそうとは思わんかったけど、結局、目的によって体感って変わるなぁと。片道150km以上の移動はしんどい。
お陰で、帰宅してから腰が痛すぎて、お風呂の後から横になってた。最近ずっと腰が痛くて、寄る年波には勝てへんなぁとか、運動不足を棚に上げて年齢のせいにしてたんやけど、今日はなかなかに痛かった。
まぁ、運動不足もあるし、何かしら抱えてるもんもあるんやろう。
体の不調なんて精神的なもんも多い。
学校に行きたくない時にお腹が痛くなるとか。
そーいや、中二の頃、登校拒否予備軍やったボクはムダに京阪の終点から終点まで往復してたこともあった。
昔っからイヤなことから逃げ癖があったんやなぁ。
立ち向かうってのは怖い。
これは今でもやっぱり変わらず怖い。
弱い自分と向き合うってことを避けて来たのは、怖かったからで、だから逃げるという選択になる。
なぜ学校がイヤやったのか、あんまり覚えてないんやけど、その頃は何も楽しくなかった気がする。いや、楽しめなかったが正しいのか?
友だちはいたのになぁ。
ん〜、行ったら行ったで友だちと楽しく過ごしてたから、何がイヤやったのかますます分からん。
あぁ、そういや、当時友だちの中の一人がイケイケになってて、よくケンカしてたのがイヤやった気がする。
私立やからたいしたヤンチャってわけではないんやけど、なんか昔っから暴力は嫌いやった。
他人のケンカでも、なんか胸が痛んだ。ましてや同級生同士とか、見たくも聞きたくもなかった。
高校2年の頃やったか、一番仲の良かった友だちが、3年生にボコボコにされたって事件があったけど、あの時は心配で怖くて、ほんまに堪らんかった。
ボク自身も藪蛇で一個下のヤバかったヤツに因縁をつけられたこともあったけど、幸いにも暴力沙汰にはならずに済んだ。
まぁ、これらは中二の頃の話やないんやけど、なんかそういう暴力がまかり通る世界っていう男子校に怯えていたんかも知れん。
うちは中高一貫やったから、当時の高校生とかほんま怖かったもんなぁ。時代もあると思うけど。
そうか、、、ボクは六年間を降り掛かることのない暴力に怯えていたと思うと、納得できる。体罰もあったし、それは何回も受けてたもんなw
宿題忘れてビンタ。持ち物忘れてビンタ。
意味わからんもんな。
そうか、ケンカではなくて、体罰っていう全くもって意味のない暴力が元々の原因で、そこから暴力全てが怖くなったわけか。
常にビクビクしてたわけじゃないけど、いつも隣に暴力があったことは間違いない。
当時はカラーギャングとかも流行ってたから、繁華街で修学旅行生をボコボコにしたとか、意味不明な話もよく耳にしてたもんなぁ、、、
んー、そうやって怯えるうちに、ボクは自分に対しても自信がなくなっていったのかも知れん、、、さらに言えば、当時マンガを描くこと、ギターを弾くことが趣味やったボクは、当たり前のように、没頭してたけど、早い段階で、親父から「お前には才能がない」と一蹴されてたし、、、いや、認めるよ。才能はない。ただ、そんな言い方されたら、好きでやってることを否定されたら、自分を否定されたように感じるのが子ども心ってやつやん?
昨日か一昨日の記事で、才能というか能力の話を書いたけど、ボクは色んなことを器用にこなせる。ただ、それぞれに才能はないから、60〜80点程度のもんばっか。
でも、周りには80〜100点のヤツがいて、それがまた身近におったりしたから、厄介やった。
どの分野でも「コイツに勝てへん」ってことになる。
やから、「あぁ、やっぱオレには才能がないんやな」と親父の言葉に呪われていく。
なんて可哀想なw
つーか、何でも出来ることが素晴らしいと思えへん自分が一番可哀想やけどね〜。
どれでも人から認められてるのに、自分で受け入れられへんってのは、タチ悪いもんなぁ。
ボクは自分が思ってるより、自分のことが嫌いなんかな、、、もしかして、嫌いなのか?
ハッキリ言って、いずれも努力して手にしたのに、その努力を「才能がない」と諦めてしまうのはなぜ?努力する才能はあるやん?
さすがに漫画こそ描かなくなったけど、実はLINEスタンプ作ろうとしてるし、ギターも続けてる、パソコンも見るだけで大体の不具合とか操作方法把握できるくらいに調べて来たし、YouTubeもなんだかんだでやり続けてる。ブログももうすぐ80日間継続して投稿してる。
あれもこれも、好きなことを継続し続けてるやん。
才能がないって言われようと、「好き」だけで、他の人たちがやめていくことをなんなく継続できてしまうやん。
これって、才能やないのか?
仕事にすらならんようなことをひたすら続けてたから、ギター教室でも不思議なほどに相手の成長のために必要なアドバイスが出てくるやん?
アレって、才能がないボクが努力して得たものが染み付いてるから、言葉は悪いけど、弱者の視点で見れてるってことじゃないのか?
つまり、ボクは怖がりなくせに、投げ出すことなく、諦めずに努力してきたから、弱い人に寄り添えるんやないのか?
そうなんかも知れん。
強者はたくさん知ってるし、彼らに囲まれて生きてきたから、自分の弱さばっかが際立って、そんな世界が怖くて、世界を恨んでたけど、実は世の中には弱者の方が多い。
そして、ボクも弱者。
やったら、ボクの生きる場所は弱者に寄り添える場所で、ボクが活きるのもそことちゃうんか。
なるほど。
誰も言ってくれへんから、自分で言うけど、ボクが優しいのも、なんとなく人の気持ちが分かるのも、その為か。
なんかやたらと長い記事になったし、テーマなく書き出したけど、なんか落ち着くとこに落ち着いた感じがする。
弱者って言い方はどうかと思うけど、ようは才能のなくても好きだからやりたい!って人たちにボクが何を提供できるのか?ってこと。
別にギターやパソコンを教えてご飯が食べたいわけではないけど、そこにYouTubeやブログを掛ければ、何か生まれるかも知れん。
イラストも然り。まぁ、これは数年前にやってたイラストアニメーションで広告作るってのを別の形で活用できそうな気もするな。
何にしても、ボクにはボクにしかできひんことがあるみたいやから、そのことについて具体的に考えるとするか、、、寝付き悪くて記事書き出したのに、もう余計に寝付けへんやんw
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