細かく言うと、2010年から1年間と2015年から1年間の計2年は組織に属していたから、社会人未経験でもないんだが、残念ながら、組織にいててもマインドも思考もサラリーマンではなかった。
何が違うと言われても正しく答えられないけれど、ようはお金を自分の力で稼ぐことに対して、ゼロから行動できるかってことだと思う。
その基準で言えば、ボクはサラリーマンではなかった。もちろん、給料は給料で有り難いし、安心感があるんだけど、そこに居続けることが面白くなかった。
ようは社会不適合者ってことだ。
ただ、そのお陰でいつも自分でやりたいと思ったことをはじめるのに時間はかからないし、そのための行動はできる体質ではある。
怖さはあるから、そこと向き合う必要はあるけど、とにかく動かないと何も変わらないってマインドは適応障害の前も後も変わってない。
でも、世の中にはそこの行動が怖くてできひん人もたくさんいる。
その点で言えば、ボクは恵まれてると思える。
とは言え、昨日書いた記事のように、人に頼れなかったりと素直さが足りてないから、一人背負う悪癖がある。これはよろしくないなと最近よく考えてるわけだ。
行動できることは素晴らしいんだろうけど、自分一人で何とかしなければならないわけじゃないってことを理解しないと。
まぁ、ここ数日は同じことをグルグル考えてるわけだ。
その為には一人じゃないってことをしっかりと刻み込まないとね。そう、ボクは一人ではない。
今までたくさんの人に支えてもらって来たし、今でもそうだ。適応障害で自分からたくさん切ったけど、それでも支えてくれる人はいる。
今なんて自分が愛してる人に支えられてる。こんな幸せなことないよな。
そうか、一人じゃないってことは幸せで、幸せなのは一人じゃないからか。。。
やっぱりボクは一人でなんとかしようなんて幻想を抱く必要はないし、それは土台ムリな話なんだな。
どうも、まだ強がってるんやな、、、
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