ボクは、自問自答することで、色々答えていたなぁとかは思う。でも、そこに生きる理由なんてあったか?と考えてみても、ないよなぁ。。。じゃあ、なんで理由もなく生きてるんだ?って思ったわけ。
これはつまり、生きる理由なんてなくても、ただ生きているってことはできるってことだ。
だから、ボクはただ生きていたのかと思うと、妙に納得できる。
確かに、自分を見つめ直したり、色々気付いたり、頑張って行動したり、嘆いたり、喜んだり、悔しがったり、楽しんだり、悲しんだり、笑ったり、落ち込んだり、嬉しかったりと、生きてたら色々なことを経験するし、なんか前向きにもなれるんだけれど、なんというか、根本的なところがないよなぁと、これはほんと、これまでも一生感じながら生きてたと思う。
それだけでも幸せに生きれるとは思うし、わざわざ生きる理由に苦悩する必要もないのかも知れない。
生きる理由ってのは、苦悩の先に見つかるものらしいから、あえて苦悩しなくてもって思わなくもない。
でも、ボクは苦悩することを選んだから、自分を見つめ直すなんてことをしてきてるわけで、どうせなら苦悩ついでに生きる理由ってのが知りたいとか思うわけ。
やけど、生きる理由ってのは、自分だけを見ているうちは、絶対に見つからない。
そう、だからボクは見つけられていない。
大事なのは、その先に相手がいるか?ってことだ。
そして、そのために我を忘れられるか?
そこに生きる理由がある。
つまり、生きる理由というのは、相手のために我を忘れて行動する先にある。
そう思えば、確かにボクにも生きる理由があった時はある。
そして、それを忘れているってことは、どこかで履き違えたってことだ。
そもそも、あの時、なぜ我を忘れて行動できたのか、、、
それは支えてくれる存在がいたからだろうか?
それもあるけれど、それだけじゃない。
きっと、相手のためにと本気で思っていたことに、我を忘れて行動できた理由はある。
なぜ本気で思えた?
喜ばせようとしていた?
いや、それはいつも思ってる。
愛しているとか好きとかそんな感情論なのだろうか?
ちょっと直接的な道筋が浮かばないので、違う角度から考えよう。
あの当時、ボクは、孤独になりたくなかった。
そして、やりたいこともない、夢もない自分が嫌だった。
だから、何かを成し遂げないととガムシャラに自問自答してた。
瞑想したり、ヨガの勉強もしてたな。
そう言えば、あれは自分を見つめ直すためやったけど、不要な自分を捨てるためでもあった。
自我のリリース、、、ちょっと生きる理由からは外れるけど、自問自答は、自我のリリースを目的として行うべきなのか。。。目的が違ってくると、捨てたはずの自我が少しずつ戻ってくるのか、、、だから、変わったつもりでいてるのに、何も変わってないって現象が起こる。そうか、、、これはこれで超大事な気付き。
ようするに、あの当時のボクは自我のリリースをしていってたから、我を忘れて行動できたのかも知れない。
つまり、しっかりと自問自答を目的通りに行っていたお陰で、自分のことを考える必要がなく、相手のために集中することができたってことか。
いや、待てよ。。。
もう一つある。
やっぱり、瞑想って行為自体も必要だ。
なぜなら、ボクはこのブログでなるべくバイアスを気にせずに本音を書くようにしているけれど、やっぱり心のどこかで誰かに見られるってことは意識してしまうから、そこにバイアスは勝手にかかってしまう。
だけど、瞑想は自分の中だけで完結する行為やし、さらに言うと、何を考えていたのかなんて覚えてもいないし、覚えておく必要もないってことだ。それでリリースできる。
とう言うことは、自問自答して見つけた答えに対して、瞑想することで、本当の意味で自我のリリースができるようになるってことか。
頭で考えることと、心で理解すること、この2つがセットではじめて我を忘れることができる。
そういう状態にある中で、相手のために集中して行動すれば、それは本気で生きているってことに繋がるんじゃないのか?そして、そこに生きる理由ってのがあるんじゃないのか?
瞑想は心、自問自答は技、行動は体、心技体が揃えばいいのか。
人は結局、ひとりでは生きていけないし、誰かのために行動するほうが力も出るし、やっぱり同じ生きるなら、そっちの方がいい。生きる理由を持って生きるから、変わってもいける。
自分が変わっていない理由も分かったので、これからは瞑想も怠らずにやっていこう。
そうすれば、生きる理由を持って明日を生きていけるようになる。
ボクはやっぱり自分を変え続けて生きていきたい。
成長する以外に、できることはない。
しっかりと、生きる理由を見つけていこう。
最後に、これはラジオで言ってた例えなんだけど、、、
相手のために集中して、我を忘れて行動するってことをS○Xで例えていた。
自分の快楽ばかり求めるのではなく、相手に快楽を与えるだけでもなく、男はまるで女のように、女はまるで男のように互いが我を忘れて行えば、より良いS○Xができる。
なんかようわからんが、なんとなくわからなくもない。
ほんま、人生ってのは、色々と反省できる点が多い。
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