相手が今どのような感情なのか?
を察することができる人は少なくないと思うんだけれど、察しても共感してはいけない。いや、分かってあげることは大切なんだけど、同じ感情に流されてはいけない。だから、共鳴と言う方がしっくり来るかな。
相手の感情にこちらが合わせる必要はないし、そもそも、相手の感情は相手のものであって、あなたのものではないから、分けて考えた方が良いよってことだ。
逆に、合わせるのではなく、反共鳴というのか、例えば、相手の怒りに対して、怯えたり、悲しんだりってのも違うと思う。
これもあなたの感情とは別物だから、相手の感情に流されることなく、「この人はなぜこんな感情になったのか?」にフォーカスしてあげた方がムリがない。
感情が動くと疲れる。
だから、なるべく少しずつ動いた方が燃費が良いんだけれど、相手の感情に共鳴してしまうと、ゼロから一気に振れてしまう。こうなると、ただただ疲弊する。
だから、観察眼の鋭い人や、共鳴しやすい人は、なるべく自分の感情を大切にすることを意識した方がよいと思うわけだ。
その方法が、さっき書いたように「分けて考える」ことと「理解してあげる」こと。
これは何も、怒りだけのことではなく、相手の発言に対しても同じことが言える。
相手の発言などもあなたの感情とは無関係だから、「なぜこんな発言をしたのだろうか?」と冷静に観察および思考すれば良い。
別に答え合わせをする必要もない。
自分なりに解釈して、いなせるような反応を示せばいい。
これは感情的になりやすい人にも言えるかも知れない。
観察して自分がなぜ感情的なのか?をちゃんと理解しておけば、疲弊することも防げるし、感情に流されることもなくなるんじゃないだろうか?
怒る方も疲れるとか言うけども、怒るなら怒ってしまう自分に怒れないものだろうか?とボクは思ってしまう。
誰かに怒りをぶつけるってことは、発散はできるかも知れないが、必ずしも良いことだとは思えない。いや、大抵の場合は、良い方向には向かわないと思う。
ボクたちは白熱した議論が不得手な国民なんだから、議論も怒りに流されがちだ。だからこそ、自分の感情を把握することは大切じゃないだろうか?
何も怒りだけの話ではない。
心配とか不安とか焦燥とか、はたまた、歓喜とか慈愛とか興奮とかも同じ。
感情の一つ一つが「なぜ起こったのか?」を知っていくことで、自分という人間を理解できていくだろうし、感情に支配されない人生を歩むこともできるだろうと思う。
何も書くことないなぁと思いながら、適当に書き出したけど、感情を理解した人は強いよね。
お金だって感情に動かされてるし。
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