あなたは正しい。
人は、生きている限りは「自分は正しい」と心の片隅で思いながら生きている。
この時間に起きるのは正しいことだ。ご飯を食べるのは正しいことだ。仕事に行くのは正しいことだ。恋するのも正しいことだ。家事をするのも正しいことだ。そして…
生きているのも正しいことだ。と。
事実、今を生きているのだから、それは自分を正しいと肯定している証拠だと思う。
つまり、人は自分を否定してばかりでは生きることさえできない。
では、あなたの目の前の人に対してはどうだろう?
その人は正しいだろうか?あなたから見て正しいと思えているだろうか?一から十まで正しいと言い切れるだろうか?
きっとそうではないだろう。
あいつのあそこは間違っている。と感じる部分があるのではないだろうか?
でも、あなたが間違っていると思っているその部分もその人からすれば「自分は正しい」と思っていることにまで気付いているだろうか?
ケンカや言い争いなどは、正しさのぶつかり合いだ。
人は自分が正しく、それ以外は間違いだと思ってしまう生き物だ。だから、反発が起こる。
力で押さえ込んだり、権力をかざしたり、怒りをぶつけたりして相手をねじ伏せても、それは解決にはならない。
なぜなら、相手にとってはあなたが間違っているままだからだ。その人はねじ伏せられた後も自分が正しいと信じている。口でどういうかの問題ではない。
それほど、ぼくたち人間は思い込みが強い。
そして、広告を作る側としては、その思い込みが何度も邪魔をしてくる。
例えば、広告に何を書けばいいのか?とゼロから考えることがある。でも、実際にはこれは間違っている。
単純な話だけど、広告を見るのは誰か?広告を見て反応するのは誰か?その誰かが見ようと思うメッセージは何か?その誰かが反応をするメッセージは何か?
そんなことを自分の頭の中で考えても、出てくる答えは作り手の都合の良いメッセージばかりになる。
あなたはコピーライターのように言葉で感動させたりしたい訳ではないだろう?小説家のような美しい文章を書きたい訳ではないだろう?
あなたが広告を通してしたいこと、実現したいことは何か?それは、見込客があなたから買うことだ。その為に広告を出している。
だったら、あなたが考えるべきは「彼ら(見込客)が反応し、買いたいと思える広告とは何か?」をどうすれば作れるのか?知れるのか?ということだ。
経営者とは孤独だと言われるが、それは自分の正しささえも俯瞰出来るだけのスキルを身につけなければ、商売という生き物に命を与えることができないからだと思う。
エゴでいたくて商売をしている人もいるし、それで成功できる人もいる。それは天才やカリスマだけが成せる業であり、そんな人は集客に困ることも広告に悩むこともない。やれば結果が出る人たちだ。
だけど、あなたもぼくもそうではないだろう。
だからこそ、見込客の側に立つ努力をしなければならないし、その為に自分の正しさを横におけるだけの技術と知識と経験と知恵を持たなければならない。
でも、それができれば、あなたは誰よりも優しくなれるだろう。
ぼくはそんな自分を目指している。