こう生きれば、幾分か生きやすいのかと思っていた。少なくとも自分の心に嘘をつかず、楽に生きられるのではないか?と。
かつての僕が嘘をついて生きていたのか?と言えば、嘘はなかったと思う。
自分がしたいことをしてなかった訳でもなかったと思う。
だけど、自分を殺して生きていた。
いや、違うな。
殺してではなく、本当の自分を忘れてしまっていたが正しい。
いつからか誰かの描く自分として生きていた。
男とはこうあるべきだ。とか、長男は、とか、そんなことでがんじがらめになって、僕は素の自分に仮面を被せて成長してきた。
或いはそれでも楽しく生きられる人も多いのだろうし、案外、そんな生き方の方が楽なのかも知れない。
どんなカタチであれ、自分は自分だと思えれば、それが正解だと思う。
だけど、僕は違った。
理由も分からず苦しかったし、いつも何か背負ってるようで、追われるように生きていた。
だから、ストレスに負けて適応障害になった。
それから、年月が経ち、気付きから冒頭のよう生き方を選んだけれど、それはそれで間違いだったと思う。
単純な話、自分がしたいと思うことをするってのは、自分一人で生きてなければ成立しない。
そして、そんな世界は存在しないし、人は一人じゃ生きられない。
必ず相手が存在する。
自分は一人だけど、相手は関わる物事全てに存在している。
彼らを考えずに、自分のしたいと思うことをすることは不可能だ。
いや、することはできても、失敗しかない。
つまり、相手との関わり合いの中で、自分を如何に崩さず生きられるか?ってことを考えないといけない。
誰かの描いた自分である必要はないけれど、自分らしく生きるためには、相手のことを考えなければいけないってことだ。
その為に必要なのは、自分とは何者か?をしっかりと知ることだろう。
これまで、どんな経験をし、どんなことを学び、どんな結果を残して来たのか。自分の強みとは何か?
そこから、自分の強みが価値となるコトは何か?
って感じで考えてかないと自分のことを知れない。
知ったところで、相手のことを考えられないと意味はないので、知ったら知ったで、相手のリスクとは何か?に思考を巡らせる必要がある。
リスクと言ったけれど、何も不安などだけではなく、性質、特徴、思考、性格なども含めて、相手を考える。
そうすることで、相手のリスクを減らせないか?どうすればWin-Winになるか?なんてことを考えながら生きていければ、それこそが生きやすさに繋がるんじゃないかと思った。
何もビジネスの話って訳じゃなく、プライベートも同様にだ。
相手のリスクを減らすことを考える。自分が背負う必要はない。ただ、負担なくできるような努力は必要だろう。
そんなことを考えながら、女神ちゃんを待っている金曜日の、、、と書いてるところに女神ちゃんが来たので、出掛けてくる。
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