そのことを元カノに伝えたところ「酉年の人は、3歩歩いたら忘れるから、深刻ぶってるけど脳天気です」と返って来たので、「確かに、脳天気やな」と、これまた納得した。脳天気。これはなかなかな問題児である。
脳天気な自分というのは、なんとなく知ってはいた。でも、真剣に悩むこともあるし、傷つくこともある。このブログだってそんな自分と向き合っていくために始めたんだが、、、ただ、やはり脳天気なボクはずっといて、そのお陰で、やっちまったことがたくさんあるわけだ。
「一途と不貞」なんてまさにそれだったわけで、、、実は、この話の前に、(当時)彼女を怒らせていたにも関わらず、悪びれる風もないままやっちまってるんだから、脳天気だったわけだ。そんな自分に随分と悩まされてきた。。。自分が脳天気なことをしっかりと自覚してなかったから余計に悩んだ。
実際、ボク自身も自分の言葉や想いに対して「嘘」を言ってないんだけれど、なんか胡散臭いというか、真剣味が足りないように感じていたし、周りもそう感じていただろう。元カノにはそう言われた(グサッ
その元凶が、脳天気にあったのだと思えば、う〜ん。。。と納得はできる。ただ、それを許すわけにはいかないし、脳天気なままで生きていくつもりもない。脳天気の扱いは、本当に注意しながら、丁重に顔を出す許可を出さないと、危険すぎる。
それが本来のボクだとしても、ボクの望む本当のボクにとっては危険な存在だ。だから、付き合い方を考えなくてはいけない。
例えば、大変なことがあっても、これはポジティブに捉えれば、こうなるためだ。そのための試練だ。と切り替えるとき、こういう時には、脳天気な自分に救われるだろう。ここでネガティブになってしまっては、腐りかねない。また、ブログを書くこともそうだ。こんな修行のようなことを日々やっているけれど、続けられるのは、このブログの先に本当の自分が見つかり、素直な自分として生きていけることを考えているからだ。
脳天気なボクが、希望を与えていくれているから、しんどいブログも楽しくできる。
こんな風に、脳天気と上手く付き合わないと、何が起こっても、適当に、楽に考えてしまうし、自分は悪くないと勘違いしてしまうなんてことになりかねない。バカな開き直り、これは大惨事を招く。
つまり、脳天気からは希望だけをもらい、後は閉じこもってもらう。こういう付き合いをしていく必要がある。
その上で、ボクは自分の言動にしっかりと責任を持ち、動く。そうして、言葉の重みを持たなければならない。やはり、これからは嘘のない生き方をしないと、また脳天気に逃げてしまうだろう。そうはさせない。
ちなみに、酉年だから脳天気なわけではないと思う。たまたま、鶏のイメージからボクに繋がっただけという話。
最後に、ボクは、酉年の中でも「軍鶏」らしい。軍鶏は、時には猛然と闘う勇者だけど、生産的でもあると。軍鶏鍋美味しいもんな(笑)しかも、ここは笑ったんだけど、軍鶏の人は、親兄弟との縁が薄く、力になるものが少なく、わりと孤独らしい。
いや、ちょっと待てよ。ボクは確かに親兄弟との縁は薄くてもいいと思っているけれど、力になってくれる人はわりと多いぞ?まぁ、多くても孤独になりたいことを望むから、自由を求めるんだけど、、、つまり、この力になってくれる人が多いのは、ボクの生まれ持った魅力によるところも大きいのだと、良いように捉えておこう。こういうところが脳天気なのかな?
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