セックスは愛の確認作業なのか?
セックスが愛の確認作業だと言われることがある。ということは、セックスしないと愛しているのか、愛されているのかがわからないってことだ。これは分からなくもない。なぜなら、セックスレスになったら、浮気や不倫されていたって話は耳にすることも多いし、それは愛がなくなったからと言われればそうなのかも知れないからだ。
少なくとも、お互いに愛しているからセックスをするという公式は在るとも思う。だけど、愛してなくてもする人もいるから、この辺りは人の欲の深さに関わる。ってことは、セックス=愛ではない。
つまり、セックスそのもので愛を確認するわけじゃないってことだ。
いや、そうでもないか。今のボクにはわからないんだけど、愛のあるセックスとそうでないセックスとに違いがあるのだろう。愛のあるセックスには、愛を確認できる何かがあるってことのはずだ。だから、これは今後の課題ということにしておこう。なんだかな〜(笑
それよりも、問題は、愛の確認作業のためにセックスをするってことじゃないか?
それって、そもそもお互いに不信感を持ってたり、なにか満たされていないことがあるから、そういう認識になるんじゃないのか?だって、愛を感じることは離れてたってできる。触れ合うことなく感じられる。
ってことは、「セックスは愛の確認作業」と思っている人は、セックスに意味を見出したいだけじゃないのか?
それに、日常で愛されていないから、セックスで繋がりたいだけじゃないのか?
「セックスは愛の確認作業」だと考えている人は、自分の欲を満たすためにしていることを正当化しようとして、理由付けをしているってことになる。
だとしたら、なかなか根深い問題だな。
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