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ストレスも視点を変えれば、こころを楽にできる。そんなテクニックについて

「良い点取ったら」とか「合格したら」とかって、子どもの頃にはそう言った言葉で発破をかけられて、やる気を出させるみたいなことを経験したことがある人は多いと思う。

このやり方は、あんまりよくはないって言われてるし、僕もそう感じている。ご褒美目当てにしか頑張れなくなるからってこともなんだけど、僕が思うのは、また違う。

こころの問題

こう言った言葉は、やがて、『良い点取れなければ、、、』というプレッシャーを抱きかねないからだ。これは、相当なストレスだと思うんだけど、どうだろうか。

誰が悪いわけでもなく、こういったことはよくあると思う。「価値観の歪み」とでも言えばいいだろうか。

このプレッシャーの正体は簡単だ。

それは、他者からの期待に他ならない。その期待に答えたいと思うのも、純粋さ故なのだから、否定はできないし、やる気になるのも事実だ。

だけど、中には期待に押し潰されてしまう人いるだろう。期待に応えられない自分が嫌になる人だっているかも知れない。どちらにしで、期待を背負うということは、それなりに「こころ」が強くなければいけない。

こころは強くできるのか?

僕は、こころの強弱は免疫力だと考えているんだけど、まぁ、体力とかって言ってもいい。つまり、こころは強くなれると言うことだ。僕はそう考えている。

でも、こころは変化もするし、全面的に一気に強化することもできない。と言うか、それは難しいだろうし、僕はやり方を知らないから、一つ一つの問題に対しての免疫力を高めて強くする方法しか分からない。

その方法もまた色々あるんだろうけど、僕は視点を変えることが多い。考え方を変えるとも言える。言葉なら置き換えると言ってもいいな。ようは、こころでの受け止め方を変えるわけだ。

ストレートに受け止めるだけだから、こころが疲れたりもする。だったら、ワンバウンドさせて取れれば、少しは柔らかくなるかも知れないし、正面ではなく、横から受け止めるとか、とにかくそのまんま受け取らない方が、楽に受け止められることがある。

期待なんてされていない

冒頭のご褒美系も、ようは相手に対する期待なんだけど、そもそも期待されてると思うから、応えようとしてしまう。これは、自発的な動機じゃないと思う。だから、シンドくなる。

だったら、期待されていないと思えばいいんだけれど、それだと自分の価値を下げてしまいかねないから、視点を変える方が良い。

では、期待から視点を変えると、何になるのか?

それは「願い」だ。

相手の願いを叶えてあげるのであれば、自発的になれる。そして、相手が願っているだけだから、叶えないことも自由だ。

願いを背負う必要はない。それは相手の勝手な想いだから、どう受け取るかはあなたの判断に委ねられる。

言葉のマジックと言えるのかどうかは知らないけれど、期待を願いと考えることができれば、だいぶ気が楽になると思うんだけれど、どうだろうか?

ちなみに、これを「お願いされている」と捉えると、期待と変わらなくなるから、そこは注意が必要だ。

願いとは、あくまでも流れ星に願うような「想い」であって、期待や依頼ではないことを理解して欲しい。

このような、視点を変えたりするテクニックは、色々あると思うので、また何か思い付いたらお届けする。

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