法事で女神ちゃんのルーツである与那国島へ行く機会があった。
離島は沖縄を除けば、3回目。
過去の2回はボクのルーツである徳之島だった。
なので、初めての離島ではないんだけど、今回の与那国は徳之島とは違うと感じた。
徳之島には、知らないながらも血縁はいるし、行けば喜んで迎えてくれる人もいる。何より、祖父母が幼少期を過ごした島なので、記憶にはなくとも血が覚えている感じはした。
一方、与那国はボクとは縁がないんだけど、徳之島よりも良かった。
それはきっと、島の文化に触れたことや、徳之島よりも自然が豊かなところではないかと思う。
京都生まれ京都育ちのボクは、ほとんど自然を知らずに育った。
知っている自然と言えば、家の前にあった数本の桜の木と、その間の草むら(土手)くらいだ。後は、家とアスファルト、人工の川である疏水しかない町だった。
にも関わらず、ボクは昆虫採集に明け暮れて育った。
自然が好きだった。
野生とまでは言わないが、すぐそこに自然があるということはボクにとって大切な要素なんだと思う。
そのことを強く感じたのは、こっちに帰ってからだ。
セントレアに着いた時、ふと頭に浮かんだのは与那国の空港の駐車場の景色だった。
あの空港は、人が見えない。
空港の中にはいるんだけど、外は駐車場にも目の前の店舗や道路にも、人を感じない。
それが理由かは分からないが、時間の流れ方があまりにも違うと感じた。
島時間ってのが何を持って言うのか知らないが、人の営みを感じないことがこんなにも緩かなのかと、そんなことを感じたのだ。
それと同時に、ボクたちが如何に時間に追われなければ生きられない場所で苦しんだりしながら生きてるんだろうとも思った。
もちろん、そんな中でも幸せはあるし、楽しくもある。
だけど、ゆとりはない。
追われてるんだから、ゆとりなんてあるようでもない。
これはボクが島にルーツを持つから感じてることなのかも知れないが、はっきりとそう感じた。
人生は時間だ。
だから、時間に追われるってことは、死に向かって急がされながら生きていることになる。そんな中で何とか必死に幸せになろうとするんだから、無理しなければ生きられない。
その無理に耐えられる人は、何食わぬ顔で、本当に幸せを掴めるんだと思う。
だけど、そこに違和感を覚えながら生きている人たちは、虚像の幸せを幸せと認識しなければ生きられないんじゃなかろうか。
そんなことから、ボクが手にしたかったものは、緩やかな時間だったんだと知った。
これからの人生で、より短い時間で、ボクは時間に追われながらでも、緩やかな時間を手に入れるために多くを考え、行動しなきゃいけないんだと思う。
憧れや理想と言えばそうかも知れないけれど、ボク自身はそう思っていない。
そもそも島から出ざるをえなかった祖父母たちとは、文明が違うからだ。食うために、生きるために島を出ていった頃とは違う。
祖父母たちが帰りたかったかどうかは知らないが、ボクは祖父母の魂が安らぐであろう場所へ子孫であるボクが帰ることは供養になるとも考えている。
徳之島であろうと、与那国であろうと、源流は自然と共に生きて来た。100年にも満たない期間は都会で生きているが、それよりももっと長い時間を島で生きて来たのが、ボクの血だ。
そういったことも考えられる機会に恵まれたことに意味があるのなら、ここまでに書いたことこそが真実ではないかと思う。