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ウソで進化した人類

人間が他の動物と異なる点というか、進化の過程で猿人類と大きく分かれて、今のように進化と繁栄を成し遂げられた理由で言われていることに「作話」という能力のお陰だってのがある。

作話、つまり話を作ることだ。

僕たちはウソばかりで生きている

意外かもしれないが、人は、大抵「ウソ」の会話でコミュニケーションを取っている。

ウソと言っても、騙す意味の嘘ではなく、確証のないことって意味だ。

例えば、噂話なんてのは、ウソの話であることが多いし、少なくとも事実を確認していない時点ではウソでしかない。

未来の話なんかもそうだ。

明日の約束とか、夢の話とかも、実現されるまではウソでしかない。

もちろん、ウソには物語も含まれる。

神話とか宗教とか、小説、漫画なんかもそうだ。

もっと言えば、歴史なんかもウソだ。

今の時代のように、写真や動画で残れば、(加工で騙せることを加味しても)未来に生きる人たちも目で見て事実を確認できるから、ウソではなくなるが、文字や口伝では、事実を確認できないのだから、「こういうことがあったらしい」って噂話と変わらないのが歴史なのだ。

文献という証拠はあるかも知れないが、それが事実だとは誰も確認できないのだから、どうしようもない。

ただ、大切なことは「作話」という能力が、人には欠かせないものって事実。

作話の必要性

なぜ作話なんて能力を持つようになったのかは僕は研究者じゃないから知らないけれど、「集団」であるためには欠かせない能力だったからだと言われている。

つまり、社会を形成していく上で、作話は必須だったわけだ。

宗教なんかまさにそうだ。

実際に、作話を経典とし、それで人をまとめ上げられているし、動かすこともできている。

ということはだ、これが今日のブログで言いたいことなんだけど、人が生きていく上で、人の上に立つ上で、必要な能力、磨くべき能力が作話ってこと。

例えば、経営者は人に夢を見せられる人物でなければならない。もちろん、見せるだけでなく、実現させる能力も求められるけれど、実現を一人でさせる必要はないから、実現は集団で行えばいい。

ってことだから、経営者であれば「作話」は重要な能力と言えるわけだ。

もっと言えば、魅力的な人ってのは作話の能力が優れた人ってことだろう。

それだけじゃないとは思うけれど、作話が占める割合とか、作話がもたらす効果は大きいはずだ。

作話能力ってのは・・・

このブログでも何回か書いたことがあるけれど、これはまさに「ルフィ」だ。

ルフィは、自分がボスを倒せるって自信があるけれど、ゾロのように剣は使えないし、ナミのような航海術もない、ウソップみたいなウソも付けないし、サンジのように料理は作れないし、チョッパーみたいに医術も持たない、ロビンのような考古学の知識もないし、フランキーみたいに船を直せない、ブルックのように音楽を奏でることもできないし、ジンベエのような操舵もできない。

ただ、みんなの夢を叶えるために、立ちはだかる驚異には絶対に負けない。

そして、そのことをルフィは多くを語らずしても感じさせる。

誰かが思い描く夢や希望、理想、空想が、この人となら叶えられるかも知れないと思わせられるだけの作話能力を持っていることが、人を引きつける最大の魅力になる。

作話能力ってのは、何も言葉巧みとか話し上手って意味ではない。

例え一言二言であっても、口下手であっても、「本質」を伝えられる能力こそが作話能力の最上級だ。

それを言葉で伝えるのか、文字で伝えるのか、体で伝えるのかって違いは得意不得意で異なれど、共通して言えることは、作話能力によって人を引き付けられる人に人は集まるということ。

僕は、この能力を具現化することがマーケティングだと考えている。

毎日ブログを書いているのも、その練習のようなものだ。とてもくだらない内容やとりあえず書いたみたいな記事もあるけれども、、、

作話能力には種類がある

ところで、虹の空のブログリストやトップページには、ブログに対してキャッチコピーが付いているんだけど、そこには「言葉は魔法」と載っている。

その理由が、ここまでに書いてきたことなのだ。

先ほど例えたルフィは、体で見せるタイプだけど、このタイプは「仲間集め」には適していると思う。このタイプの近くにいる人たちの信頼は厚いだろう。

だけど、ビジネスでは仲間だけじゃない。

お客さまにまでその作話能力を活かせなければ、能力がないのと同じになってしまう。

となれば、その魅力を作話能力を使ってお客さまに「見せる」必要がある。

お客さまへ見える形にしなければ、より多くには伝わらないからだ。

つまり、ただ見せるよりは、口伝の方が広げやすいし、口伝より経典にした方が、さらに広げやすいってことだ。

となれば、「言葉」と「文字」にして「メッセージ」を伝えられるという作話能力こそが、影響力は大きくなる。そして、体で見せる方が、影響力が深い。

どちらが良いではなく、場面によってどちらが必要なのかが変わるだけだ。

どちらも兼ね備えていれば、勝る者なしだけど、まぁ、人は大抵の場合そこまで器用じゃない。

そして、ないものねだりだったりするんだけど、それは補完し合えれば十分だろう。

すべては僕の持論だが

作話って能力が人の持つ能力だってことは事実だけど、ここで書いたことはすべて僕の持論だ。

僕はこうして分析したり、あれとこれとをつなぎ合わせて考察したりすることが好きなだけだ。

だけど、これも作話能力があるからこそできる。

と言っても、何も自慢してるわけじゃない。

あなたにも作話能力はある。それを自覚して、使うか使わないかだけの話だ。

最後の最後でなんだけど、もう一度言うが、作話ってのは「嘘」ではない。人に夢を与える物語を語れる能力だってことだけは知っておいてほしい。

夢を語れって言われるのは、あなたの夢に人を巻き込みつつ、その人の夢も叶えられるほどデカい夢を持てってことなんだろう。僕の夢は些細だけれど、あなたの夢はどうだろか?人を巻き込むようなデカイ夢を見ているだろうか?

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