タパスから与えられた質問
私は我が子や家族、友人に対して優しくするように自分に優しくできていますか?
タパスからの質問
人にやさしく接するように、自分にもやさしくできているか。ボクは、少しだけやさしくできるようになったみたいだ。それに関しては、昨夜の記事にも書いた。
また、そこで書いたことは、前回の質問への回答で気付いた点をちゃんと意識していたと思う。
前回は、「優しくすることと、甘やかすことを履き違えていた」と書いたんだけど、甘えを少し捨てられてるようだ。お陰で、自分にもやさしくなれている。
だけども、だかと言って、この問への回答を終えるのも味気ないので、もう少し考えてみよう。
優しさは持っている
この質問の前半部分。「我が子や家族、友人に対して優しくするように」とある。
そもそも、ボクは彼らに優しく映っているのだろうか?人に対しても甘いと映っているだけじゃないのだろうか?
ボクは、今その瞬間に自分が相手の力になれるのであれば、多少の自己犠牲は良いと考えている。例えば、仕事の途中でもオカンを買い物に連れて行くとか、その程度のことだけど、自分の時間を割くことも優しさだと思う。この程度のことは日々しているんだけど、これを「甘い」と見る人もいるだろう。
だけど、そのことで相手に感謝されるなら、別にそれで良い。他人の評価は気にしない。
そう、相手の力になろうとして取った行動、した決断に対して感謝してもらえれば、安い犠牲だ。感謝してほしくてやるわけじゃないんだし、偽善でもない。
素直な気持ち、優しい気持ちで動くことは、甘いわけじゃないだろう。
ただ、ボクには厳しさは足りていない。ここまで書いたような優しさを持った接し方なら、自分にだってしていた気もする。
だから、やっぱり履き違えていた部分だけを改めれば良いのだろう。
自分の弱さに流されず、少しだけでも踏ん張ってみれば、明日はもっと強くなれている気がする。そうして、ちょっとずつ、自分の甘さを剥がして、自分にもっとやさしくなろう。
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