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タパスから与えられた質問への回答〜優しさ編〜:21年3月30日

タパスから与えられた質問への回答〜優しさ編〜:21年3月21日からの成長および変化具合を確かめるために、真実編に続いて書いていく。

タパスから与えられた質問

私は我が子や家族、友人に対して優しくするように自分に優しくできていますか?

タパスからの質問

人にやさしく接するように、自分にもやさしくできているか。ボクは、少しだけやさしくできるようになったみたいだ。それに関しては、昨夜の記事にも書いた。

また、そこで書いたことは、前回の質問への回答で気付いた点をちゃんと意識していたと思う。

前回は、「優しくすることと、甘やかすことを履き違えていた」と書いたんだけど、甘えを少し捨てられてるようだ。お陰で、自分にもやさしくなれている。

だけども、だかと言って、この問への回答を終えるのも味気ないので、もう少し考えてみよう。

優しさは持っている

この質問の前半部分。「我が子や家族、友人に対して優しくするように」とある。

そもそも、ボクは彼らに優しく映っているのだろうか?人に対しても甘いと映っているだけじゃないのだろうか?

ボクは、今その瞬間に自分が相手の力になれるのであれば、多少の自己犠牲は良いと考えている。例えば、仕事の途中でもオカンを買い物に連れて行くとか、その程度のことだけど、自分の時間を割くことも優しさだと思う。この程度のことは日々しているんだけど、これを「甘い」と見る人もいるだろう。

だけど、そのことで相手に感謝されるなら、別にそれで良い。他人の評価は気にしない。

そう、相手の力になろうとして取った行動、した決断に対して感謝してもらえれば、安い犠牲だ。感謝してほしくてやるわけじゃないんだし、偽善でもない。

素直な気持ち、優しい気持ちで動くことは、甘いわけじゃないだろう。

ただ、ボクには厳しさは足りていない。ここまで書いたような優しさを持った接し方なら、自分にだってしていた気もする。

だから、やっぱり履き違えていた部分だけを改めれば良いのだろう。

自分の弱さに流されず、少しだけでも踏ん張ってみれば、明日はもっと強くなれている気がする。そうして、ちょっとずつ、自分の甘さを剥がして、自分にもっとやさしくなろう。

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