僕が適応障害に感謝できるようになった理由

はじめに伝えておかなければならないことがある。

それは、適応障害に感謝できるようになった理由は、僕がたまたま恵まれていただけかも知れないし、同じように適応障害に苦しんでいる全ての人に当てはまる話でもないし、こころが疲れている人全てに効果がある話でもないだろうということだ。

だけど、僕の経験上、この話は嘘偽りはないから、絶対に効果はありませんとは言わない。ようは、個人の感想です。100%の効果を保証するものではありません。ってアレだ。

適応障害に感謝している理由

適応障害という病気がどんなものなのか、僕は医者でもないし、調べた訳でもないから、よくは知らない。

ただ、自分が適応障害と診断されたから、そういう病気だったんだ。適応障害とは、こういう症状の病気なんだ。と経験則からでしか語れやしないんだけど、とにかくこの病気はストレスに敏感になる。

原因がストレス耐性にあるから、 過度なストレスを感じれば、誰にでもなり得る病気でもあると言える。

ストレスを知らなかった

適応障害と診断されるまで、僕はストレスに強いと思っていた。仕事のストレス、親のストレス、(元)妻のストレス、お金のストレス、人間付き合いのストレスなどなど、様々なストレスを受けながらも、別になんとか生きていけてたし、それでやっていけると信じていた。

自分はストレスなんて溜まらないんだと思っていた。

ところが、全くもってそんなことはなかったわけだ。自分では気付かないふりをしていただけで、こころはボロボロになっていってたし、当時は顔も死んでいたことだろう。

ストレスが無縁だと思っていたから、僕はストレスなるものを知らなかっただけだと思う。なんとなく「嫌」だったり、「しんどい」程度のものだとばかり思っていたから、溜まるなんて思いもしなかったのだ。吐口も考えたことはなかった。

ストレス環境からの隔離

適応障害を発症して、僕は実家暮らしとなった。ストレスから隔離するためだった。

そこから一年半。ストレスと離れた僕は、瞬く間に回復した。訳ではなかった。

ストレスを与える環境から遠ざかれば治ると言われていたし、確かに過度なストレスはなくなったけれど、こころの中はいつもモヤモヤしていた。

何にモヤモヤしているのか分からなかった。実家に戻ってから半年が経つ頃から、仕事もできるようになったし、久しぶりに友だちと過ごす機会も増えて、なんなら楽しい日々を過ごしていたはずだった。

やがて、一年が過ぎても、それは変わらないまま、僕のこころの中はいつも霧がかったような状態が続いていた。

元気なはずだし、悩みもない、ストレスもないのに、僕の表情は曇ることが多かったのだろう。親兄弟はそれを心配していた。

拭えないストレス

僕がこころのモヤモヤの原因に気付いたのは、適応障害発症から一年半が過ぎた頃だった。

それは、自分を見つめ直すという行為に初めて取り組んだお陰で気付いた。

僕は、ブログに書くことで、自分を見つめ直せた。その中で、自分が抱えていたストレスの根本的な原因に気付いたのだった。

それが、親兄弟からの心配だった。

今回のテーマでは扱わないけれど、この親兄弟との関係から抱える問題というのは、多岐に渡り、かつ長い年月を共に過ごしている分、根深い。こころのモヤモヤもその一つに過ぎない。

ストレスから逃げる

実家に住む限り、僕のこころのモヤモヤが消えるはずがないと知った僕は、1日でも早く家を出ようと思ったのだ。

だけど、それは簡単ではない。

怖さもあるし、先立つものもある訳ではなかった。そもそも、一人暮らし未経験だから、生活費がどれほどかかり、新しい環境でいかに稼げるのかもわからなかった。

それでも、僕は思い立ったが吉日かのように家を出た。

女神ちゃん(恋人)が背中を押してくれたことが大きいんだけど、そこまでの1ヶ月ほどの間に繰り返してきた自分を見つめ直すという行為、つまり、自問自答によって得られたこころの変化が僕を行動させた。

自問自答をすればするほど、僕は自分が何を望んでいるのかに気付き、その為に何をしなければならないのかを知った。

自分が自分のことをどう見ていたのかも知ったし、自分では気付かなかった自分の本心にも気付けた。

自分のことなのに、僕は何も知らなかった。

だから、新しい自分をたくさん知って、僕は即座に家を出ることにしたのだ。自問自答で知った、本当の自分、そんな自分で素直に生きてみたいと強く思ったから。

やかで感謝するようになった

あれから半年が経ち、僕はかつて抱えていたストレスから解放された。

目に映る景色は美しい。こころが安らかでいられる日々が有り難い。一日一日が大切に感じられる。

こんな日を半年前の、ましてや適応障害を発症したあの日の僕が想像できただろうか?と思うと、嘘のような、夢のような毎日だ。

僕は思う。

きっと、適応障害を発症した日、逃げなかったら、僕は幸せにはなれなかっただろう。

きっと、実家での楽な暮らしを望んでいたら、僕は幸せになれなかっただろう。

今、僕が幸せを感じながら生きていられるのは、ここまで歩んできた40年間があったからだと、確信を持って思える。

だから、過去の様々を許せたし、全てを受け入れられた。

もし、僕が適応障害にならなければ、そんな時間軸があったとしたら、、、

それでも僕は今の世界を選ぶだろう。

病気にさえ感謝できる人生は幸せだと思う。僕は、自問自答で自分を知れたから、自分の全てに感謝できるようになった。

あなたも自分を知り、自分を受け入れることができれば、たくさんのことに感謝できるかも知れない。そして、きっとその世界はあなたにとって、幸せな世界なんだと思う。

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