僕たちはどこから来て、今を生きているのか?そんな答えの分からない疑問へのひとつの答えを辿るべくやって来た南の島。
最終日は曇り時々雨で南国らしさはなかったけれど、長閑な風景と広い景色は遠くの町にいることを教えてくれる。
感謝へと続く旅路
今回の旅は、観光じゃない。
鹿児島も徳之島もその素晴らしさを体験しに来たわけじゃなく、僕と女神ちゃんが今を生きている証に触れに行く、そんな旅だった。
鹿児島で女神ちゃんの祖母に会い、徳之島で僕の曾々祖父に参り、またそれぞれの場所で親戚にも会った。
徳之島では祖父母や遠縁の親戚の色んな話を聞き、かつて祖父母が子どもの頃に見たであろう景色を眺めながら、はるか昔に思いを馳せた。
僕たちはたまたま今に存在出来ているけれど、今を生きられていることは、たまたまじゃない。
前にも書いたけれど、数世代遡れば、何十、何百、何千という先祖がいて、彼らがいたから必然的に僕たちは今を生きている。
この必然を確かめたくて、僕と女神ちゃんは旅路に着いたのかも知れない。
今回は僕のルーツだったけれど、また女神ちゃんのルーツを辿るために、来年には沖縄の離島にも行きたいと思う。
こうして、脈々と受け継がれる命のバトンを受け取れていることに感謝しながら、1秒1秒を有り難く生きよう。
おばあちゃんの想いのひとつを成就させることで、結果的に祖父母四人のもう一度帰りたいって想いも成就させることができたのかも知れない。
亡くなった彼らは徳之島の大地を踏む事は出来ないけれど、孫の僕はしっかりと徳之島の大地を踏み締め、徳之島の空気を吸い、徳之島の自然を肌で感じ、彼らの話でしか知らない町並みを歩いた。
二度目ではあるけれど、意味合いが違うから、今回の旅は本当に良かった。
何より、女神ちゃんと一緒だから良かった。
これからを一緒に生きる大切な人と、過去を知る旅は、何ものにも変え難い有り難みがある。
自分に感謝できる喜びを教えてくれた女神ちゃんと、これからもたくさんの景色を見ようと思いながら、帰ってきた日常も有り難く過ごしていく。
岡崎の空気は冷たいけれど、ここもまた誰かのルーツだと思えば、心がなんとなく温かくなる。
あぁ、そういえば、ここは徳川家康のルーツやった(笑
また明日くらいには岡崎城にも参りに行こうかな。
僕の「康」の字のルーツやし、改めて感謝を述べに。
]]>