馬と鹿:米津玄師
歪んで傷だらけの春
馬と鹿:米津玄師
麻酔も打たずに歩いた
体の奥底で響く
生き足りないと強く
まぁ、自分の弱さを隠して生きてたら、こういう状態になるよね。心は歪むし、傷だらけでボロボロにもなるし、でも気付かぬふりして、歩き続けてる。バカですね。
それでも、歩き続けるのは、「生きたい」「もっと違う生き方をしたい」って本当の自分が求めているからなんでしょう。ボクもバカなので、身に染みる歌詞です。
ひとつひとつ無くした果てに
馬と鹿:米津玄師
ようやく残ったもの
自分を傷つけてきたもの、それは他ならぬ自分自身なんですが、そんな弱い自分をひとつひとつ捨てていく。すべて捨てきった後、それでも残っているものがあるんですよね。ボクもそれだけを残そうと思ってやっきになってましたが、今はまた違う考えです。でも、捨てられるものは捨てればいいし、自分にとって不要でなければ、残せばいいだけの話なんです。
これが愛じゃなければ何と呼ぶのか
馬と鹿:米津玄師
僕は知らなかった
呼べよ花の名前をただひとつだけ
残されたもの、それは「愛」だと信じたい。そして、そのたったひとつだけの愛の名前を呼べばいい。それも喉が体が魂が張り裂けるくらいに呼べばいい。それがたったひとつの真実なのだと思います。
そのくせ影をばら撒いた
馬と鹿:米津玄師
気づいて欲しかった
自分と向き合ってる時には、鬱にもなるし、寂しくもなるし、救けてほしいと願います。だから、シグナルも発してしまう。自分はしんどいんだと。苦しいんだと。それでも、前に進むしかない。自分の中にあるものを捨てられるのは、自分しかいないからね。
逸る胸に尋ねる言葉
馬と鹿:米津玄師
終わるにはまだ早いだろう
砂を噛みしめるほどに苦しくても、しんどくても、まだそこで終わったらダメなんです。まだまだ苦しみ、もがかなかければいけません。でも、「終わるにはまだ早い」という覚悟があれば大丈夫。また一歩ずつ先へ進めます。
あまりにくだらない願いが消えない
馬と鹿:米津玄師
くだらないなんて自嘲してますが、これは「生きたい」ってことでしょう。そして、「君と生きたい」そういう願いだとボクは解釈しています。ってことで、ピックアップしながら、ボクなりの解釈を述べてみました。
馬と鹿:米津玄師から学んだこと
えぇ曲なんですが、最初は歌詞とタイトルの関係性が理解できませんでした。今のボクやから分かったんでしょう。ボクもバカやと気付いたからです(笑
なので、この曲を取り上げたんですけどね。今と言っても書いてるのは4月1日なので、公開されてる頃には、「ほんと大馬鹿やったなぁ」となってるかも知れません。何にしても、今日までのボクを垣間見てるような歌詞やなぁと感じました。
ちなみに、ボクが馬と鹿で一番好きな歌詞は取り上げていなかったのですが、、、
君じゃなきゃダメだと
馬と鹿:米津玄師
ここですね。一番叫ぶところ。うん、これ大事なんですよ。これくらい強い思いが必要なんですよ。成長するにしても、生きるにしてもね。ここの「君」というのは、好きな人でもいい、愛している人でもいい、そして自分でもいいんです。
自分だろうと、相手だろうと、誰か一人を強く思いながら、生きることはとても力になるから、大事なんです。まぁ、これっぽっちも自分以外に向かないのは危ないでしょうけど、、、