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理解しようとして愛を履き違える

人間って不思議やなぁと思う。

自分のことさえあんまり理解できひんし、他人なんて尚更理解できひん。血が繋がってても、好き同士でも、人を理解することは難しい。

いや、そもそも理解しようとすることがムリなわけで、それはエゴなんやろな。

例えば、飼い犬が亡くなった人に「わかるよ。悲しいよね」と言ったとしても、悲しいことなのは分かるが、どこまで悲しいのか、辛いのかなんてことは分かりっこない。

愛情の深さ、犬との思い出なども共有してへんし、性格も違うのだから、分かるはずがない。

分かろうとすることも違うし、分かってもらおうとすることも違う。

励ましては欲しいだろうけど、気持ちが分かるってウソを言われるのは心外だろう。

お前に何がわかんねん!と思ったことが、あなたにもあっただろう。

そう、だから、相手のことを分かろうとする必要なんてない。

分かろうとするのではなく、ただ受け入れてあげればいい。ボクはそう思う。

そのていで言えば、ボクのことを心底受け入れてくれる人がいることは、本当に嬉しい。

理解すると受け入れるの違いは、ボクの中では、相手を否定はしないってことだ。前者は理解できなかったり、自分と考えが異なると、時に相手を拒否したくなる。

だけど、後者には自分のジャッジは無用だ。相手のそのままを受け入れるんだから、事実を事実として捉える以外ないし、相手を認めてあげることもできる。

そうすると、そこがとても居心地の良い場所になる。

そんな場所が、ボクにとっては女神ちゃんだ。

彼女がいるから、ボクは一歩ずつ確実に歩んでいける。いずれは走り出すとしても、今は一歩ずつ歩みを進めるしかない。

あかん、、、眠すぎてもう書けへん。

要するに、受け入れるってことは「愛」を持って接することだ。

理解できるはずがないのに、理解しよう努力することは愛ではない。

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