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引っかかりを大切に

昨日からずっと考えていることがある。

「自分が信じることを自分のためにしてあげてください」

この言葉を受け取ってから、ずっと引っかかっている。ようするに、自分に問うたときに違和感を覚えているわけだ。なので、この問いにたいして、深く考えなければいけないようだ。

引っかかりを大切に

まずは、ボクが何に引っかかっているのかを考えよう。

自分が信じること。それは、自分が自分のために、こうありたい、こうしたいと思うことだろう。ここは分かる。それを行動原理にしたいし、源動力にしたい。

自分のためにする。ここに引っかかっている。先ほどの記事を書いた理由は、ここに対する自分なりの答えを導き出そうと考えた末なんだけど、もう少し具体的にここへの解答を導き出したくて、今度は、より本質的な部分を書こうと思ったのだ。

自分のために。ということに対して、ボクはさっき「独り善がり」と誓ったわけだけど、実はここには、まだ違和感を覚えているのだ。

理由は分かっている。

これまでの自分の否定

ボクは、これまで誰かのために生きるんだと考えていた。ワガママでありたいと思いながらも、良い人でありたかった。他人の評価を気にしたくないくせに、気になって仕方なかった。そして、子どもや親、兄弟、恋人、元妻など身近人たちに認められたいと願って生きてきた。

だから、冒頭の言葉も「自分の信じることを誰かのためにしてあげてください」なら、すんなり「了解!」と答えられるわけだ。

なんだけど、実はこれは、偽りのボクだ。

本当は、この言葉通り「自分の信じることを自分のためにしてあげてください」という生き方をしないと、ボクは自分ではない。

なぜなら、これまでのボクは、ボクを演じて生きてきたからだ。いくつもの仮面をかぶって生きてきた。それはボクではない誰かだ。ボクはボクではないまま生きていたってことだ。

ボクではないボクで生きてきたとしても、それはボク自身であることに変わりはない。だから、質問に対して違和感を覚える。

「ほんまにそんな生き方をして良いのか?」と思ってしまっている。

だって、それは過去の自分の生き方を否定することになるじゃないか。

怖さの克服はすでにできる場所にいる

幸い、ボクはこの自分を否定する怖さを克服するすべを持っている。それは、他でもない、このブログの記事にすることだ。そうすることで、思考を重ねて、自分の感情を吐き出し、残った答えを導き出せる。それが真実かどうかはステージごとに変わるから良いとして、その時のボクにとって必要な答えを見つけられる。

先ほどの記事で書いたことは、その答えの一つだ。だけど、まだ許可を取っていない。自分自身に許しを得ていなかった。だから、こうしてさらに深く考えようと記事を書いている。

許可を得るために

ボクが、独り善がりで生きていくために、必要な許可とはなんだろうか。

一つは、不要なものを手放していくことだろう。だから、さっきは仕事に関して書いた。後は、物理的なモノとしてもあるかも知れない。時間を奪うものだったり、成長を妨げるものだったり。あ、でもこれに関しては、最近ポケモンGOをほとんどやっていないというのは、一歩前進かも知れない。

そうそう、昨日Youtubeでの生配信も、もうしないことに決めた。登録者さんたちには、特に報告はしていないけれど、もうしない。ボクにとっては、書くほうが喜びになる。動画投稿は、まだしばらく続けるけれど、いずれはやめるだろう。つまり、脱Youtube。仕事で請け負う以外に動画を作ることはなくなるのかも知れない。

他にも許可を得るためにすべきことはあるだろうか。

あぁ、もう一つあった。

偽りの自分との決別だ。ただ、このためには、少し時間がかかる。早くても半年はかかるかも知れない。今から半年、、、つまり自分の誕生日辺り。齢四十から生まれ変わるってのも悪くはない。

それまでに、仮面を剥いでいこう。そして、決別する。偽りの自分との決別という行為、具体的に何をするのかは決まっている。だけど、ここには書かない。それは、その時が来たら書くとしよう。

これからも引っかかりを大切にしよう

ボクは、本当の自由を本気で求めようと思う。

これまで、ボクが被ってきた様々な仮面たちは、すでに色褪せているのだから、実は、すでにお役御免してたのだろう。それでも、被っていることで、ボクは安心して生きていた。みすぼらしいことだ。お笑い草だ。

ボクが一番、執着していたのは、これまでに作り上げてきた自分だったようだ。

小さな引っかかりに耳を傾ければ、また新たな道が拓ける。これからも引っかかりを大切にしよう。

仮面のボクたちよ、サヨウナラ。君たちはもう要らない。

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