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自分の価値を高めるひとつの考え方

相手にとって自分はリソースである。

このように考えたことはなかったんだけど、こう考える生き方は悪くないなと思った。
というより、この考え方を持って生きることが、今のボクには最重要だとさえ感じた。

自分がリソースであるということは、何も献身的という意味ではない。
リソースとして考えてもらうのだから、そういう側面はあるのかも知れないけれど、むしろエゴ的だとも思っている。

なぜなら、相手のリソースとして使ってもらえることで、相手の中で自分の価値が高まるからだ。

自分の価値を高めるために、自分をリソースとして認識してもらうのだから、献身的というよりもエゴ的だろう。

ただ、エゴと言っても、この考えで実行されることは「WinWin」だから、悪いことではなく、むしろそうあるべきことだと思う。

でも、これって普通の考えじゃない?と思うかも知れない。
確かに、いたって普通。社会では当たり前のように行われていることだし、ボクもその中で生きてきたし、リソースとして活用してもらってきた。

平たく言えば、社会ってのはあなたにできないことをできる人に頼むってことで成り立っている。

だから改めてって訳でもなく、かと言って再認識って訳でもない。

これはようは、自分の捉え方を変えるって話なのだ。

備忘録的に書くけれど、リソースというのは「資源」のことだ。
人ならば人財とでも言えばいいのだろうか。

つまり、冒頭の一文は、「ボクをあなたの資源として活用してくださいね」ってことになる。

そう考えた時、これは他者から言われることだから、何も自惚れている訳でもないんだけれど、ボクはある分野においてのポテンシャルが高いし、そういった分野が求められやすい時代だから、必要とされるリソースと言える。

だけど、普通は相手をリソースとして捉えないし、おいそれと頼んで良いのかも憚られる。日本人の奥ゆかしさとでも言うのだろうか。

そんな時、こちらから「ボクをあなたのリソースとして考えてください」と言えば、相手の見方は変わる。

相手にとって、ボクのようなリソースが必要になる時はもちろんだけれど、そうでなくとも、例えば「アイデア」の段階であっても、気軽に相談できるポジションにいれてもらいやすい。

ここが重要だと思う。

だから、社会一般の常識的な考えで、意識せずとも当たり前に行われていることであっても、捉え方を変えることが大切で、この考えを持つことが最重要だと感じたわけだ。

さらに、この考え方で生きるとなると、資源を豊富にしたいと思うのが人間のサガだろう。

つまり、知識欲や向上心が芽生えるもしくは、高まる。

ここしばらく刺激されてなくて、勉強してなかったんだけど、最近はまた知識欲が高まりつつあったから、この考え方でさらに加速すると思う。

実際、この考え方も勉強中に知り、そこから考えて気付いたことだし。

後、この考え方において最も重要なことは、自分がリソース足り得ることを自称することだろう。

リソースであるかどうかは、自分から言わなければ分かるはずがないのだから。

そして、どうせリソースであることを自称するのであれば、「あなたにとって必要となるある分野においては、私が最も重要なリソースです」と言い切ること。

それは、自信にも繋がるし、自律・自戒と成長にも繋がる。

間違わないでほしいんだけど、決して、その分野において自分が一番である必要はない。

大切なことは、2つ。

相手にとっては自分が一番のリソース足り得ると思ってもらうこと。言い換えれば、インパクトを与えること。

そして、それに伴うだけの人格を備えておくことだ。人柄と言ってもいい。

この2つが伴うのであれば、知識や技術が一番でなくとも、相手にとっては唯一無二の存在になれる。

これはどういうことかというと、仕事を買うのではなく、人を買うということだ。

ボクがボクであるからお金を払ってもらえる。

つまりは、そういうことを言っている。

相手にとって自分がリソースであることを知ってもらい、そこに見合うだけの人柄が備わっていれば、(もちろん、知識や技術も必要だが)それだけでも相手にとって価値のある自分となれる。

結果、自分の価値も高まっていく。

世界的権威というのも同じように作られていくんだろうなと思う。

ようは、これはマーケティングだ。

マーケティングがうまいものが世に広く知られる。

そのための種とななりそうな考え方を知ったので、記事にした。

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