具体的には、家に帰れば待ってくれている人がいるというのも、幸せだと思う。
ボクはこれまで自分なりに不自由を自由と信じて生きてきたから、これから手に入る自由が本当の自由だとしても、その自由はこれまでの自由じゃないから、現実感がないというか、非現実的というか、まるで夢のような感覚に身を投じているような、そんな日々。
この日々が現実やと実感し、これが自分の幸せやと理解できるのは、いつなのだろか。
ボクは誰かにとって都合の良いボクを自分の中で勝手に決めつけて、その自分が正しいと思って生きてきた。
そして、それが幸せなんやと信じることにしていた。
結局、それがムリだったから、壊れたわけだ。
今はそんな自分が仮初の姿やったと気付き、変化している途中。この先、自分がどうなるのかという不安も多大にあるけれど、今という時間を受け入れて、楽しむことにしよう。
きっと、今の幸せは始まりに過ぎないし、入り口に立ったばかり。これから享受するものをボクは自然と受け入れられるように、そして、その幸せをしっかりと自分の手でも作り出し、掴み取れるように、成長と変化を繰り返すしかないだろう。
幸せってのは、つまりいつも日常にしかないもので、目の前に確実にある今だ。
仮初の自分じゃない今のボクが感じているこの感覚こそが幸せなのだろう。
やっぱり不安もあるけれど、目にも見えないことに不安を感じている方が精神に悪いから、この辺りでこれらの幸せは受け取っておこう。
そして、これから先の幸せを自分で作り出すことに専念しよう。
その幸せを2人分。
ボクが幸せであれば、ボクのご先祖さまたちは喜んでくれるだろう。そのことに感謝もしなければならないし、だからこそ、ボクは自分を愛さなければならないんだろう。
その感謝も愛も2人分。
ボクは自分が幸せにできる最小限の人数、手の届く範囲の大切な人を幸せにする。
冒頭に書いた通り、自然と笑みがこぼれるような日常を過ごそう。
ボクにとっての幸せって些細なことなんだろうなぁと思う。
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