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なぜ僕は自問自答するのかな?

自分と向き合うなんてことをわざわざ改めてしている意味はなんだろうか?

ブログをはじめた当初と今では環境は違うし、自問自答のお陰で既に変われたんだから、それで良いと思えるけれど、、、

自問自答人生の意義

記事にまでせずとも、自問自答をしていることなどなんぼでもある。

大なり小なりある。

何食べる?とか何しよう?とかそんなことは含めないが、成長に向いた自問自答は日々行っていると思う。

僕は自問自答のお陰で人生が変わったから、変われたと思えたならやめても良かったのかも知れないが、これはやめるようなものでもないし、ゴールもないからやめられもしない。

自分のことを知るために行っていることだけど、なぜそれをするのか、なぜそう感じるのか、なぜそう言ったのか、そんなこと全てを知ることなどできないから、自問自答すべきことなど無限にあるから、ゴールなんて存在しないのだ。

ただ、自分のことをよく知れば、言動や思考の原因を知ることができれば、改善と取捨選択ができるようにはなると感じているから、人生をより豊かに生きるために、より幸せを感じられるために、自問自答をやめることは選択肢にないのだと思う。

でも、最近になって気付いていることがある。

自問自答の行き着く先の話だ。

自問自答の極地

これは、人間において最も大切なことでもあるんだけど、自分を知ることは、最終的にいつも「感謝」に行き着く。

自分のことを知れば知るほど、人は謙虚になれるのではなかろうか?

だから、感謝に行き着く。

そして、感謝できるようになればなるほど、愛と優しさを持てるようになる。しまいには溢れ出すだろう。

感謝できて、愛と優しさに溢れて生きることができる。これは即ち幸せの源だ。

だから、僕が自問自答をする理由は、幸せになるためだと言える。

では、幸せを感じられるようになれば、そこで終われば良い。

だけど、僕はガメツイのだろう。

自分が不完全だから、もっともっと謙虚にならなければと思ってしまう。もっともっと感謝できる人間にならなければと思ってしまう。

完璧になりたい訳じゃない。

自分のためにって思ってるなら、或いはやめられるのかも知れない。諦めても良いのかも知れない。

でも、僕は自分のために謙虚になりたいなんて微塵にも思ったことはない。

かと言って、より多くの人のためなんて、そんな高尚な人間でもない。

ただ、女神ちゃんと幸せな日々を過ごしたい。その想いを成就させたいがために、自分をより高みへと誘いたいのだ。

だから、とても我が儘だ。我が儘な理由で、高みを目指している。

欠陥だらけだけど、這ってでも前に進みたい。

その為には、自問自答をして自分を知って、昨日より謙虚な自分になりたいし、今日より明日はもっと謙虚な自分でいたい。

そう、自問自答をして生きるってことは、まさに実るほど頭を垂れる稲穂かなを実現させる手段なのだ。

言い訳しない自分になる

自問自答で自分を知ることには、素直になるって側面があるけれど、それは言い訳しない自分になるってことでもある。

先ほどの謙虚ってのは言わば内面なんだけど、言い訳しない素直な自分と言うのは、行動面だ。

この2つが兼ね備わなければ、人生はより良い方へと向かわない。

謙虚で素直。これを持ち合わせるために、自問自答しているわけだ。

恥ずかしながら、どちらも欠けていたものだ。

僕は、傲慢だったし、卑怯だった。いや、今でもそんな自分がいることは知っている。

だから、自問自答はやめられない。

実りすぎて頭が地面にめり込むくらいまでは、自問自答をやめることは出来ないだろう。

そして、頭が地面にめり込むことなどはないから、やめる日は来ないだろう。

自問自答なんてする意味があるのか?

自問自答なんて教えてもらわなくてもできるんじゃないのか?

正しい自問自答なんてあるのか?

まぁ、懐疑的になるだろうし、胡散臭くも思えるだろうけど、自問自答をする意味は大いにあるし、正しい方法もあるし、僕が見つけたルールがあるから、「Poma式自問自答のメソッド」なんて偉そうな名前をつけてもいる。

最近は、「恋愛」に主眼を置いて記事を書いているけれど、恋愛も自問自答なくして成就はないと言い切る。

あなたがパートナーにしたいのは、謙虚で素直な人じゃないか?傲慢で卑怯な人は嫌だろう?

自問自答をすれば、謙虚で素直な人になれるってことは、あなたが誰かにとって最良のパートナーになり得るってことだ。

まぁ、僕も女神ちゃんと婚約出来たとは言え、まだまだ自分を知り続けなければ、謙虚も素直も不足しまくりだから、最良のパートナーです。とは言えないが、最良のパートナーになり得る存在ではあると思うし、いずれそうなる。

自分を知らずして、恋愛成就などはあり得ないだほう。

だから、僕は自問自答を続けながら生きていく。

自問自答とは、人生を生きる意義そのもの足り得るだろう。

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