動く幅ってのは、自分のいる環境、それはいわゆるコンフォートゾーンからの脱却だ。
コンフォートゾーンってのは、快適な空間だ。つまり、今自分のいる環境のこと。
今いる環境に満足しているならそれでもいいかも知れない。でも、今いるコンフォートゾーンにさえ違和感を覚えるなら、もしくは、ボクのようにそこがコンフォートゾーンだと思えないなら、脱却するしかない。そうなると、動く幅を大きくすることになる。
ただ、そのときはそれ相応の勇気や覚悟もいるから、簡単じゃないけどね。
でも、コンフォートゾーンから脱却できるならやる価値はあるだろう?
もし、あなたがそこに怖さを感じたり、後から後悔することがあるとしたならば、それは本当の自分を把握仕切れていない。もしくは、本当の自分を信じられるほどの強い気付きを得ていない。そのどちらかだ。
自分を見つめ直す、整理するみたいなことをしてる人は多いみたいだが、カッコだけで満足してるから、また苦しむ。
コンフォートゾーンを出ることってのは、それしきのことじゃムリだ。
ボクの自問自答は、気付くためだけれど、本日はそこじゃない。
ボクの自問自答の本質は、自己の否定と肯定にある。
わかるかな?
自分を否定してあげることのしんどさ。見つめ直すだけじゃないんだ。まずは、お前は間違っていたと否定しなければならない。
その上で肯定しないと、いきなり肯定してるから、間違った自分は、間違いを肯定されてると思うわけだ。いやいや、間違いは間違いだから、嘘は嘘だから。バカなの?
過去の自分にしろ、偽りの今の自分にしろ、間違ってるなら、否定。否定って言葉が強く感じるなら、指摘でもいい。ちゃんと指摘してあげろ。
「それは間違ってるよね。だって、こうなっているのは、それが原因じゃない?原因から、こうなってこうなってるから、こうなったんだよ」って、教えてあげてくれ。
その上ではじめて、「だけど、もう大丈夫だよ」って、その偽りの自分を肯定しなければ、間違いに気付かずに、本当の自分を知っただけになる。え?隣に間違ったままの自分おるで???
自問自答を正しく行えば、そんなことも減るだろう。
そうすれば、行動量も行動幅も増やせる自分に気付くばすだ。
気付いたなら、正しい自問自答をした証拠。
自問自答の成果や実感は、目には見えない。だけど、確実に自分の中での変化には気付けるだろう。
量も幅も増やす。これ以外に人生を成長に向かって変化させる術はないだろう。ボクは知らない。
自分が正しいと思うことは捨てて、今一度、自分を見つめ直してみてはいかがだろうか?言い訳なんて知らないし、傷の舐め合いなんかしたくない。
行動できないのは、己自身への不安故か、誰かに責任転嫁したい弱さの表れだろうね。
何にしても、コンフォートゾーンに気づいてない人も多いから、まずはそこがコンフォートゾーンかどうかから感じてみてくだされ〜
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