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こころのままに

僕は昔から自分を俯瞰するクセがある。客観的にどう見えるのかばかり気にしていた。

それは時に役立つけれど、傍目を気にするが故にカッコ付けるというマイナスも生む。

キザって意味ではなく、素直ではなくなるということだ。

学生の頃、男子校にも関わらず、カッコ付けて「オナニーなんてしたことない」と言っていたけど、本当はしてたに決まってる。毎日してはずだ。

マジでしてない学生がいるなら、教えて欲しい。

この事ひとつとっても、素直じゃないだけだ。恥ずかしいから本当のことを言わないってだけ。

そんな風に生きてると、色んなことを隠してしまう。

素直じゃないってことを当たり前にしていってしまうのだ。

そして、それを自分の中で正当化させるために色んな理由を作るようになる。

ところで、今の僕は言い訳しないようにしているし、素直に生きるようにしているけれど、そのお陰でだいぶ楽に生きられるようになった。

でも、それはまだ習慣化への途中だから、ふとした瞬間にカッコ付けてしまうことはある。素直が無意識になるまでは、カッコつける方が無意識だったから、このクセをすぐに改善するのは難しいようだ。

だから、今でも失敗はする。

何かの折に理由を作って、本音を隠そうとするのだ。

その時、頭の中で一気にたくさんのことを考えるから、それが合図なのかも知れない。

本音を隠すために、色々な理由を自分の中で並べ立てて、本音を覆い尽くすってことだ。不思議だけど、そうやって本音を隠そうする。

自分のことなのに、慌てて理由をたくさん作って、本音を隠して、それで自分を正当化させて守ろうとしているわけだ。

他者への言い訳みたいに、自分にもそんなことをしてしまう。

カッコ付けの末期なんだと思う。

これは思考のクセだから、簡単には治らないけれど、素直になるためには、色々と挑戦するしかない。

嫌なことには嫌と言うとか、

やりたくないことはやらないとか、

感情を表現するとか、

当たり前のようなことだけど、ついガマンしてしまうことをガマンさせずに行うことで、少しずつそれを自然にしていくしかない。

そして、もう一つ。

思考のクセだから、常に自分に許可を出し続けるってこともしなければならない。

カッコ付けないように、許可を出す。

「こころのままに生きろ」

「想いに従え」

そんな風に、カッコ付けて本音を隠すことなく、本音を優先することに許可を出す。

そんなリハビリが必要だ。

僕らは色んなしがらみの中で生きているつもりだから、こころのままになんて生きられないのが当たり前だと思っている。

だけど、法律以外のルールや人間関係のしがらみなんかにあなたを縛り付ける力はない。あなたのこころを縛るなんて出来ない。

勝手にそう思い込んでるだけだ。

自分で作ったしがらみという幻想に縛られて生きているだけなのだ。

その幻想を、あなたを縛り付けるしがらみを一切気にしなくていいなら、あなたは自由ならどんな自分でありたいだろうか?

こころのままに生きることは、良いことだ。

迷惑かも知れないとか思う必要もない。それもしがらみ、幻想だ。

誰かの心中を察する必要もない。

あなたのこころの赴くままに生きればいい。

僕もそうやって生きていく。

何を言っているのか伝わっているだろうか?

こころのまま、想いのままに動けってことだ。迷惑とか障害とか失敗とかは、動いて起こってから考えて対処すればいいってことだ。

カッコ付けるってのは、恥ずかしいからって書いたけれど、本当の自分を隠す方が恥ずかしいんじゃないかと思うのだ。

誰かに対してではない。自分に対して恥ずかしい。

どんなことであっても、やはりこころのままに行動しないのは、後悔する。

怖くてもこころのままに行動すれば、それは正しい方へと動き出すキッカケになる。

数時間前まで行動を躊躇っていた僕だけど、これからはもうこころのままに動くことに決めた。その為の行動しかしないと決めた。

想いに従い、こころのままに生きる。

そうしないと、後悔を撒き散らしながら生きることになるだろう。

自分に少しでもウソをつく人生は一日でもはやく終わりにしないといけない。

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