1つは、言葉の攻撃力が怖いってのもある。口から発した言葉は、取り返せない。だけど、文字は、ブログは、公開するまでなら、自分で添削できる。ボクは読み返して添削するのも好きだから、余分な肉を削り落として、仕上げる作業に楽しみを感じる。
書くことってしんどいんですか?
最近では、文字を書くことは減った。ブログも正確にはキーボードを使って「打っている」わけで、書いているわけではない。
だけど、ボクは文字も書く。以前は、出会った方々に「サンキューレター」というハガキを手書きで出していたし、彼女にラブレターだって書く。元カノにだって書く!
思い返せば、小学生の頃にラブレターを書いたのが始まりかも知れない。結局、勇気がなくて渡せなかったけど、自分の想いを言葉にするより、文字にすることの方が得意だと自然と判断したのだろう。
何にしても、特に手書きの文字は、その人柄が伝わる。下手な文字でも良い。それでも、人柄や想いは伝わる。
むしろ、言葉にすることの方が安っぽさを感じてしまうくらいだ。
矛盾するようだけど、好きな人とは喋りたいと思う自分もいる。それは、相手の声が自分にとって、必要だからだ。耳から心へ伝わる養分ってとこかな。
それは置いといて、書くことは楽しい。自分の想いや考えを伝えるのに書くという行為は最適だ。最近は、音声コンテンツも流行りだしたけど、やはり文字はいい。
読むとは、対話である
文字を読むとき、あなたは頭を空っぽにして読むわけではないだろう。きっと、その文章と対話している。
目の前にいるわけじゃないけど、書き手と対話できる。それが文字だ。だから、文字はずっと残っているんだと思う。
そして、書き手も対話している。
ボクは、ブログを書くとき、読み手を想像して書いている。だから、添削もする。この表現はキツすぎないか?自分の本心なのか?素直な言葉なのか?など、色々と考えながら、添削をしている。
タイムラグがあるけれど、このブログを読んでくれているあなたとボクは対話しているのだ。
書くことによる苦痛
書くこと自体は、本当に苦ではないのだけれど、苦になることが1つある。それは肩こりだ(笑
これだけが付き物なので、仕方ないけれど、こうして毎日ブログを何記事も書いていると肩も首もパンパンになってしまう。最近は、左腕が、いつもつりそうな状態でやばい(笑
でも、それさえメンテナンスすれば、ボクはいくらでも書ける。
あ、後は眼精疲労もあったな、、、これは結構、深刻なダメージを与えてくれている。来年あたりには目の手術を受けたいと本気で思っているほどに。
まぁ、肉体的な苦痛はあるけれど、書くことに精神的なストレスはまったくない。
書いて書いてかきまくる
何を書くのか?ってことに悩むこともあるけど、このブログは、ボクにとって一番楽な分野である「思考」を選んだことで、日々の気付きと学びを書けるので、楽だ(笑
いやらしい話、このブログはまだ、広告の審査に通ってないから、広告も載せられず、趣味で書いているだけなんだけど、それでも時間を惜しまずに書いてしまう。ここにお金が発生しだしたら、ボクは書くことをやめられないだろう。
まぁ、その日が来るまでも、来てからもボクは書くことがやめられないのだから、書いて書いてかきまくる。
こぉじという人間の、ボク自身の「言える範囲」のすべてをここに記そうと思う。
とりあえずは、本当の意味でこぉじの中の人が表現できるまで、書き続ける。まだまだボクは自分をさらけ出しきっていないと思っている。
だって、そんなことしたら、このブログはラブレターになりかねない(笑
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