この本の感想は八支則について記事を書き終えてから、改めて書こうと思う。
今回は、ヤマ(禁戒)の1つ目「アヒンサー(非暴力)」について。ヤマ(禁戒)は、日常生活でしてはいけないこと。禁じべきこと。常に心がけるべき、道徳的な教えのことだ。では、行く。
アヒンサー(非暴力)
すべてのものを慈しみ、誰も、何も、自分も傷つけない
出典:ヤマ・ニヤマ: ヒマラヤ聖者が説くスーパーマインドになる10の教え
物理的な暴力はもってのほかなので、割愛するが、最近流行りのマウンティングも暴力だということを忘れてはいけない。これは、いじめやパワハラ、モラハラ、セクハラ、女性蔑視、幼児虐待など多くの問題の根底にある。思いやりに欠けた行動で、人より上に立ちたいという思い上がりが精神的な暴力をもたらす。
また、「思い」の暴力というのもある。言葉の暴力もこの一種だろう。人を責める。価値観を押し付けるなどだ。教育とはいえ、子どもを叱ることも一種の暴力になりかねない。子どもの成長を願い叱るのなら、深い愛があるのだけが、周りの目を気にして怒ることもあるだろう。これはエゴだから、思いの暴力と言える。
思いの暴力は、自分自身に向くこともある。自分を責めることがあるだろう。自分を卑下したり、愛せていなかったりすることも、自分への暴力だ。また、自分への嘘も暴力になる。もっと自分へ優しくしよう。自分を大切にしてあげなくてはいけない。
思うだけの暴力なら良い気がするかも知れないが、思いというのは外に表れる。そういう顔つきになるし、体の中のエネルギーだって濁ってしまう。なので、思うだけでも周りには伝わるのだから、ネガティブな思いは持たないように、持った自分に気付いたら、愛や感謝の思いに変えなければいけない。
自分にしても相手にしても、ネガティブなイメージを持ったときには、まずは対象を「許す」ことをすれば良い。許せない自分を責めることもしてはいけないだろう。それは、単にまだまだ発展途上、成長の過程にいるだけだ。
許した後、(たとえすぐに許せなくても)よいところを探し、尊敬の念を持ち、そして愛し、その人の幸せを願う。
こうすることで、自分の心を美しく保てるようにもなり、愛を持って接することもできるようになるだろう。人にやさしくあること、自然にやさしくあること、生き物にやさしくあること、自分にもやさしくあること。それがアヒンサーの教えだ。
いつもやさしくいれるように、心が穏やかで美しくあれるように、功徳を行って日々を生きよう。
世のため人のためになる行いなら、どんな些細なことでも良い。部屋にいたクモを外に逃がしてあげればよい。落ちていた空き缶を拾ってゴミ箱に捨てればよい。コンビニでお釣りを募金すればよい。ボクたちにできることはたくさんある。功徳の積み重ねが、自分の心を清らかにしてくれると思うから、ボクは日々、一つだけでも行うことを意識している。
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