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ヨガの八支則【ヤマ:アパリグラハ】について初心者が学ぶ

ヨガの八支則を学ぼうと、Amazonでポチった一冊の本の内容を一つずつ記事に私見を交えてまとめながら、自分の中に落としこんでいこうと思う。購入したのは、以下の本。

この本の感想は八支則について記事を書き終えてから、改めて書こうと思う。

今回は、ヤマ(禁戒)の5つ目「アパリグラハ(不貪)」について。ヤマ(禁戒)は、日常生活でしてはいけないこと。禁じべきこと。常に心がけるべき、道徳的な教えのことだ。では、行く。

アパリグラハ(不貪)

「もっと、もっと」とむさぼらない

出典:ヤマ・ニヤマ: ヒマラヤ聖者が説くスーパーマインドになる10の教え

アパリグラハについては、こちらの記事でも少し触れたけれど、今回はちゃんと考えてみる。いや、前回もちゃんと考えてたけどね。

不貪というのは、ようするに欲張らないということ。ブラフマチャリヤ(禁欲)とも繋がっている部分もあるけれど、「もっと、もっと」と欲深くなること、執着することはダメだということ。何ごともむさぼるように求めてはそりゃダメだ。

ブラフマチャリヤでも書いたように、人は食欲を習慣で三食食べている。さらに、一食一食に我慢がないとすれば、それは貪欲となる。お金をたくさん稼ぐのはいいことだけど、どんなことをしてでも、いくらでも欲しいと求めるのも貪欲だろう。自分にとって必要な金額だけを稼げばいいし、そこには遊ぶお金、施すお金そんなのもあっても問題はない。

他にも、使うこともない資格をたくさん持っているとか。これは資格があることの安心を得たいだけで、使うことがないから、結局不安になってしまっているのだろう。欲や執着に振り回されない生き方をしなければいけないってことですね。

人間生まれてくるときも、死ぬときも裸一貫なのだから、持ちすぎる必要がないと考えられる。ようはお金と一緒で必要な分だけ持っていれば十分なのだ。

そして、こちらの記事でも書いたように昨今流行りのSNSで見かける承認欲求も、もっともっとと欲しくなってしまう欲の一つ。

エゴではなく、分かち合う生き方

エゴからむさぼる生き方ではなく、すべてを分かち合う生き方を目指しましょう

出典:ヤマ・ニヤマ: ヒマラヤ聖者が説くスーパーマインドになる10の教え

人間は、心が発達しすぎたために、エゴが生まれてしまった。そして、心を満足させるために、エゴをどんどん肥大させながら生きている。そのまま生きていても普通に死ねるだろう。そこに異論はないし、別にそれで良いと思う。ボクだって、気付きがなければ腐って死ぬだけだった。

ただ、気付かせてもらったし、学ばせてもらっているし、そこに喜びを感じてもいるから、人間としての成長をやめることはできないだろう。これは、どちらが偉いとかスゴイって話でもない。自分がなりたい人間になれるようにみながそれぞれ頑張って生きればいい。

もちろん、欲も執着もなく、みなが分かち合える世界があるなら、(それは天国のような世界なのだろうが)そこには争いも憎しみも怒りも嫉妬もないだろう。素晴らしい世界だとは思う。ただ、ボクらが生きている世界は「ここ」だから、どう生きようとも、自分が気付くまではどうすることもできないんだと思う。

分かち合う生き方は、自分も含めて、周りの人も幸せにしたいと願う生き方だ。そう願って生きれば、人にやさしくもなれるだろうし、自分にもやさしくいれる。大きな愛を感じることもできるし、大きな愛で包むこともできるだろう。できれば、ボクはそういう人間になりたい。

ヤマ(禁戒)を実践するには

自分との対峙の仕方を学ぶのです。ないものを探して集めるのではなく、自分という神様から与えられたもともとのキャラクターを見直して、そこに立ち返り、それが生かされる行為をしていくのです。

あるがままを愛するのです。何も余計なものをつけない、素の自分を見つめます。裸の自分です。全身に血が巡り、生命力があり、生まれたまま、何の思いもない、ただあって幸せな自分です。それで最高のバランスがとれています。

出典:ヤマ・ニヤマ: ヒマラヤ聖者が説くスーパーマインドになる10の教え

ヤマ(禁戒)の5つの教えは以上となる。日々、このやってはいけないことを意識しながら、もししてしまったことに気付いたなら、それは成長の証だと思って、改めるように考え直せばいい。

そのためには、上に書いているように、自分との対峙の仕方を学ぶしかない。ボクは思考を巡らせること、瞑想の時間を取ることで、真似事でも自分と対峙できていると思っている。きっと、誰しもが同じやり方ではないのかも知れないので、参考程度だが、「自分に問う」つまり自問自答は、適切ではないだろうか。

自問自答については、こちらの記事に書いているので、まだ読まれていない方は、一度ご拝読願う。この方法なら、自分が本当に考えていること、囚われていることに気付くキッカケを見つけることもできるのではないだろうか。

さて、次回はヤマ(禁戒)について、それぞれの教えをまとめて、ボク自身が見返せるようにしておきたい。

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