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欲望にも素直に生きる。だって人間だもの

朝に投稿されたブラフマチャリヤの記事を自分で読み返して、ん〜と思ったので、レスポンス記事を書く。日々変化しているってことだろう。

欲望にも素直に生きる。

食欲、睡眠欲、性欲それぞれについて書いてたと思うんだけど、当時(と言っても2週間くらい前だけど)のボクは、欲を持っているからしんどいんだと思い、それぞれをどうにかしようとしていた。それはそれで素晴らしいことだし、実際に食欲もこの1ヶ月で減りはした。加齢のせいかは知らない。

睡眠に関しては、最近はどうだろうか。その頃みたいにスッキリ起きることはなくなったかな。最近深酒が過ぎるだけなんだけど。でも、朝には起きるし、今日は眠気も特に感じていない。寝るの早かったからか?いずれにしても、ボクの場合、起床後の疲れなどは、精神的なストレスよりも眼精疲労によるところが大きいから、自然を眺める時間を意図的に設けたりしないとダメだなと思う。目にも癒やしが必要だ。こないだメガネを忘れた土手のような場所に身を投じる時間が欲しい。欲を言えば、元カノと2人でね(笑)

で、最後は性欲。ここもムダにムラムラしなくなったのは良いことやと思う。元カノ曰く、イライラをムラムラと勘違いすることがあるらしいから、以前のボクがそうやったとしたら、今はイライラはイライラのままに感じているってことだろう。そこからムラムラにすり替わることがない。

さて、ここから三大欲求について、もう少し掘り下げておく。

ブラフマチャリヤやアパリグラハで禁じられていることは、「欲を持つな」ではない。持たなきゃ持たないにこしたことはないんだろうけど、そんな人間に面白味はないし、らしくない。

だから、ある程度のコントロールは必要で、欲を貪るように求めてはいけない。例えば、三食をお腹いっぱい食べて、デザートも食べるないといられない。休日にはただただ惰眠を貪る。一人の異性では飽き足らず、性を貪る。このようなことを禁じているのだと、今は考えている。

とは言え、別にボクはそれをしている人が悪いとは思わないし、ボク自身欲のままに貪る時もあるやろと思う。

三食食べることはないけれど、お腹が空いたと感じ、食べたいものがあれば、お昼も食べるようになった。何が食べたいのかを体に聞いて、何も思い浮かばなければ、食べなかったり、栄養ドリンクだけで済ませている。体の調子がどうなのか、体重がどうなのかなんてことは興味がないから知らないけれど、空腹感のお陰で日中は集中できることが増えた気はしている。

食欲は体に任せればいいんだと思う。体が欲すれば必要なものを求める。それに従えばいい。欲を貪るというのは、そのタガが外れてしまっている状態だから、肥満にもなるし、疾患も抱えるのだろう。それは貪欲の代償だ。体を大切に思うなら、自分を大事に思うなら、欲と向き合うことは必要だろう。

昔から、ダラダラと惰眠を貪るようなことはあまりなかったけど、よく昼寝をしていた時期はあったな。昼寝ると1〜2時間は寝るから夜が寝られずに、朝もつらいみたいな日々が続いていた。こんなことはもうない。むしろ、そんな生活を送るくらいなら、休日にダラダラごろごろしとく方がいい。それは体を休めていることになるから、惰眠を貪ることが悪いとは思わない。最近は昼寝も短時間でスッキリすることが増えたから、15〜30分横になれば問題ないし、夜もちゃんと眠れているから、ボクの睡眠サイクルとしては、まぁ、これでいいんだろう。

だけど、ここに来て理想というか試練というか、目標と言えばいいのか。ボクは、横になって目をつむるだけでも睡眠のごとく疲れが取れる状態に体を持っていかなくてはいけないようだ。落ちてはいけない、、、どうすりゃいいんだろうか。全く方法が分からないけれど、とりあえず、数日そんな状態でも平気でいられる体を求める。糸口は、休みの日にゴロゴロしたりすることかな。自然の中で横になって、眠るでもなく眠るみたいなことを繰り返す内に何か掴めそうな気もしている。よし、この後、公園でも行くか。

性欲に関しては、やはりその時には貪るようにならないとダメだ。ただ、ダラダラではなく、質の向上。一手一手に神が宿るが如く、全身全霊の愛で貪る。これは性欲だけに限らずだけど、あれこれ考えず、そのことに集中する。食べる時も、眠る時も、抱く時も、その行動に全神経を集中させないと、質の向上はできない。

食べる時には、食材や調理されたことに感謝をし、生命の循環に愛を感じ、食べられるだけをしっかりと味わって食べる。

眠る時は、体も脳も安め、その日に感謝し、大地を感じ、空を感じ、空間に身を委ねるが如く、生かされていることへの愛を感じながら目を閉じればいい。

抱く時は、シンクロさせる。自分だけの快感でもなく、相手だけの快感でもなく、相手がいることに感謝し、2人の間の愛を育むように、同じ気持ち、同じ感情で一つになろうとすればいい。頭の中は空っぽでも、心だけは満たすように、相手を愛し、相手の愛も抱きしめる。

何ごとにも囚われず、何ものにも揺るがされず、ただ欲を素直に認めてあげよう。そうやって生きることができれば、毎日はもっと輝いて見えるだろう。自分の中から溢れ出る光にも気付くだろう。欲にも素直にならないと、本当の自分には出逢えない。ボクは純粋な欲を持って生きる。

なんとなく、愛される覚悟を持てそうなきもしてきた。

そうそう、愛される覚悟については、有料記事なんだけど、その後のre: 愛される覚悟という有料記事と合わせて読むと、より深い気付きを得られると思うので、本当に自分と向き合いたい人には、会員登録をオススメする。

向き合うことが怖い人は、まだ無料記事でいいと思うよ。有料記事は、これからも、もっと深いところを書いていくから、自問自答で自分を変えたいと望むような人向け。別に、あなたがわざわざ、ボクのように自問自答に取り組む必要はなくて、ボクの記事を読むだけでも、自分に気付けるだろう。だから、ボクがより深い記事を書き、それをあなたが読めば、あなたもより深い自分に気付ける。ただそれだけのこと。

このブログをあなたの内面を映す鏡のように読んでもらえれば、それで幸い。さて、今日はいい天気なので、やっぱり公園で少し横になってこよう。行ってきます。

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