誰に言っても理解されない行為かも知れない。普通の人ならそんなことしないだろうと思う。そんなわけで、前回の記事は普通の人に向けて書いた。
なぜなら、言い訳を常識みたいにして生きる人生って楽しいの?と思うからだ。
なぜあなたはウソをつくのか?
そもそも、あなたは素直になりたいと思ったことはあるだろうか?
素直になりたいと思ったことがあると言うことは、あなたは自分が素直ではないと感じているということだ。
ちなみに、素直ではない。というのは、自分にウソを吐いていることになる。
なぜあなたはウソを吐くのか?
この問いに対して返って来るあなたの答えは、前回の記事で書いた通り、言い訳ってやつだ。
最もらしく答えるだろう。正論で塗り固めたりもするかも知れない。そして、素直に行動できる者を否定さえするのかも知れない。
まるで素直に生きることが悪いことかのように、異常者かのように、そんな風に感じていたら、あなたが素直になることなどないだろう。
自分にウソを吐き続けて生きていると、いつしかウソがマコトのように錯覚してしまう。素直になんて生きられるはずはないと思い込んでしまう。
自問自答のメソッドで言うところのディープエゴというのは、こうやって生まれてくる。
ようは自分にウソをつかなければ生きていけなかったりすることがあって、それぞれの場面で無意識に素直さを殺して、そこから仮面を被って生きることを選ばざるを得ないってことだ。
だけど、そんなものは今のあなたが望むあなたの生き方ではないはずだ。
だから、ヒズミが生まれる。そして、こころが疲れてしまう。
こんな風に生きたい!と願いながら、そうではない行動を選択してたら、こころがシンドくなっても仕方ないだろう?
自分で矛盾を作ってるんだから。でも、そのことには気付けないんだからタチが悪い。
よって、なぜこころが疲れているのかが分からずに、ストレスばかり感じてしまう。やがては、かつての僕のようにこころが壊れそうになったりするかも知れない。
だから、素直になりたいなんて思わない方が本当は楽だと思う。本気でそう思わずに生きることができたなら、矛盾はなくなるんだから。
あなたはどうだろう?
それでも自分に素直に生きたい?
自分に素直に生きることが出来れば、こころは自由を感じられる。
まるで解き放たれているそんな感覚を味わえる。
僕は、昨日沖縄に飛んだ。それは、お付き合いしている女神ちゃんが沖縄に行ってたからだ。別に恋人の旅行を邪魔をしにいったわけではない。同行者の許しを得て、来ますか?となったから、では行くしかない!となったのだ。
なぜなら、僕は会いたいと思ってたから、素直にこころに従って行動した。ただそれだけの話なのだ。
まぁ、言い訳が常識な普通の人なら、全否定してくれるだろう。
だからこそ、僕はその逆の行動を取る。こころに従った結果が普通と逆なら、迷わず逆張りする。
その方が人生に豊かさを感じられるし、自分で人生をコントロールしていると思える。
素直に生きるってのは、こういうことだと思うんだけど、あなたはどうだろう?
素直になりたいなら、自分にウソを吐くのを今すぐやめよう。やめ方は自由だ。手前味噌ではあるが、Poma流自問自答のメソッドを使えば、自分にウソを吐かない方法も分かる。
さて、後2時間弱ほどのフライトだが、無事セントレアに到着することを祈りながら、ここらで締めくくりとしたい。
一つ残念なのは、行きもそうだが、帰りも女神ちゃんと別の便なのは寂しいよね。
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