分からないけれど、人は特別でありたいと願う生き物だとは思う。
それも、分かりやすければ分かりやすいほど自覚もできるから、そこに憧れたりする。
平凡って、、、
僕たちは、「自分は特別」だと想いたがる。
何を持って特別だと判断するのかは分からないけれど、例えば漫画の主人公的な感じだろう。
強いとか、運動神経が良いとか、賢いとか勉強ができるとかってことだ。
そういったものは分かりやすい。
だけど、あなたにはそんな才能がないのだろうか?
マンガやアニメの主人公というのは、秀でた才能が秀でていると分かりやすいように描かれているだけで、実際に僕たちにだって、それぞれ秀でた才能はあるはずだ。
それが見えにくかったり、気づきにくかったりしているだけだ。
僕は「優しい」と形容されることがあるけれど、自覚はない。
こうしてブログを書いていることも、「書く才能」だったり「言語化する才能」だったりがあると言われるけれども、それも特筆すべき才能だなんて思ったことはなかった。
昔から言葉で伝えることがなんとなく苦手だから、手紙で伝える方が伝えやすいと思っていたくらいで、それが「言語化(正確には、文字化)する才能」だなんて思うはずがないだろう。
第一、思っていることを文字にするなんて、文字さえ書ければ誰でもできることではある。
ただ、何が言いたいのか分からなかったり、ちぐはぐだったり、うまくまとまっていないなんて文章を目にすることもあるから、その辺りの思考を整理して、伝わりやすくするってことは才能になるのかも知れない。
だけど、それが何だ?って感じはするだろう。僕もそう思っていた。
そんな才能があっても「平凡」に過ぎないだろうと思っていた。
特別な才能だという自覚などは芽生えないものなのだ。
だから、やはりマンガやアニメの主人公というのは、その才能を秀でているように描かれているだけだと思う。
もちろん、目に見えて分かりやすい能力は目立つから、羨ましく思うものだけど、それがあなたにも僕にもないのかと言われると、あるんだとは思うのだ。
ただ、自分の特別な才能というのは、自覚できなくて当たり前だから自覚できない。
だって、そもそも僕たちは自分が平凡だと思っているから、自分の能力も「当たり前」と思ってしまっている。
僕は、毎日ブログでメッセージを書いている。女神ちゃんに毎日1枚だけの恋文も書いている。アメブロにもちょっとしたブログをほぼ毎日書いている。
とにかく、書くこと、そして、それを続けられることが僕の才能と言えるわけだ。
だけど、いまだに「特別な才能」だと思っているわけじゃない。
だって、僕にとっては書けて当たり前だから。
自分の想いを言語化できない意味が分からないくらい、当たり前にできる。
書類にまとめたり、ブログにしたりができて普通。
だけど、下手な文章を見るとイラっとするくらいだから、これは才能なのだ。
だから、自分が平凡だと思っていても、何かしら人よりも得意なことはあると思う。
それがひとつでも良いけれど、例えば、「書く」と「続ける」ってことは別の能力だから、これらを掛け合わせれば、それは個性とも言える。
そこにまた別(自分にとっては当たり前)の能力が掛け合わされば、どうだろう?
もうそれは唯一無二の能力ってことになるだろう?
つまり、自分にとって平凡なことでも、「これってもしかしたら、他の人より少しできてる?」ってことを掛け合わすことができれば、それでもう特別になれるってことだ。
だから、あなたは平凡じゃない。
そもそも、あなたは汎用型ではないのだ。
あなたは唯一無二の存在だし、あなたの持っているものも然り。
ひとつひとつの能力は、あなたより秀でている人がいるかも知れない。
だけど、あなたと全く同じ能力をすべて持っている人はいないだろう。
何と何を持っていて、何と何をどう掛け合わすことができるのか?そこに気付くことができれば、あなたは平凡じゃないって思えるんじゃないだろうか?
自分が平凡だと落ち込むことがあるかも知れないけれど、それは思い過ごしというよりも、自分のことを知らなすぎるだけだし、周りと比較しすぎだ。
自分が得意なこと、自然とできていること、そんなことを探しつつ、また他人に聞いてみてもいいだろう。
あなたは気付かなくとも、周りの人はあなたの良いところ、素晴らしい才能を知っているものだ。
僕に「書く才能」があると自覚させてくれた女神ちゃんのように、あなたにもそんなアドバイスをくれる人がきっといる。
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