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幼き日のボクを深く見つめてみよう。

少し古い記憶を紐解いてみよう。

と言っても、ボクの記憶にはなくて、母から聞かされた話だ。そこから、自分の中を見つめたいと思う。

幼稚園に入る歳の頃、ボクが通うことになったのは、お寺の敷地にある幼稚園だった。墓地も隣り合わせだった。

そこの暗い雰囲気が嫌だったのか、ボクは母に送られて幼稚園に行っても泣いてばかりだったそうだ。

先生は慣れてるから、母をサッサと帰すことしかしない。そりゃそうだ。子どもを通わせてた保育園でも泣きじゃくる子どもに後ろ髪引かれながらも帰らざるというか、仕事に行かざるを得ない親はいた。

結局、ボクは別の幼稚園に転園することになった。でも、その先の幼稚園では泣くことがなかった。そこの幼稚園には、最初から知ってる友だちがいたことも大きいのだろう。

前の幼稚園の立地や雰囲気もあったのかも知れないし、子どもは多感だから、何か感じていたとも考えられる。

だけど、それは分からないし、今さら分かりようもないので、自分の中にあるものを探しに行こう。

ボクは単純に寂しかっただけだと思う。

友だちがいた幼稚園では、泣かなかったわけだし、楽しかったという記憶がある。

前の幼稚園は、雰囲気も含めて、一人が寂しかったのだ。友だちを作ることよりも、知らない人たちの中に置き去りにされているという事実が怖かったのだろう。

当時、すでに弟はいたから、ボクは我慢をして兄を演じていたはずだ。

それでも、そこには耐えられなかった。

我慢をして、良きお兄ちゃんでいてるのに、なんで知らない人たちの中に自分を置いていくだと傷ついていたんだろう。

普段から我慢をしていた分、ショックも大きかったのかも知れない。

我慢なんてする必要はなかったのに。

弟や妹が出来ても、甘えたければ甘えれば良かった。我慢をして良き兄でいることで、褒めもらえるのは嬉しかっただろうけど、褒めてもらえることで兄としての自覚を作ろうとしていたのだろう。

あの頃の幼きボクを今のボクはしっかりと甘えさせてあげよう。もう我慢をする必要はない。

幼かった頃のボクが望むことを今のボクが叶えてあげれば良いだけだ。

ボクが寂しがりなのは、幼きボクをちゃんと甘えさせていなかったからだったようだ。

もう大丈夫だから、存分に甘えてくれ。

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