離婚する夫婦が多いのも難しさを物語っているのだろう。
だからといって、無理ではない。では、何があれば、どうあれば、誰かを幸せにできるのだろうか?
幸せが幸せ
複数人を幸せにするってことは、厚かましいとも思うし、継続させることはできないだろうから、自分と誰かが限界だと思う。
例えば、夫婦、恋人など。
子どもは?と思うかも知れないが、子どもを一生幸せにすることはできない。いずれは自立していくものだし。だから、僕たちが幸せにできるのは、自分ともう一人くらいが関の山だと思う。
誰かを幸せにするってことは、誰にでもできる。
問題は、それを継続することが困難ってことだ。
誰かのためにって思考で始めることに無理が生じる。自分を犠牲にしていると感じてしまうからだ。
そして、たぶん、そういったことが積み重なって、誰かを幸せにすることが難しいってなってしまうんだと思う。
無理をしてまで誰かを幸せにするってのは、精神的な無理では不可能ってことだ。
結局、あなたの幸せが私の幸せと感じられないことが、原因なのだと思うのだ。
というより、そのように感じられなければ、誰かを幸せにしながら、自分も幸せになるってことは実現できないだろう。
だから、相手を幸せにしたいと思っているのなら、それが自分の幸せになりえるのか?無理はないか?などを知らないといけないし、それを幸せだと感じられるだけの自分であるべきだと思う。
誰かを幸せにするってことは、自分の幸せ。
親が子のために自己犠牲できたりするのも、奉仕の精神なども、ツラいではなく、己の喜びだったりするから、実現できるわけだ。
だから、夫婦や恋人であっても、互いに幸せで添い遂げるためには、相手を幸せにするための行為が自分の幸せだと感じられないといけないし、また相手もあなたの幸せを享受し、それがこの人の幸せなのだとならなければいけない。
お互いに幸せを感じ合える間柄でいるってことも大事。そうでないと、相手に罪悪感が生まれることもあるかも知れない。
つまり、お互いが相手の幸せが自分の幸せとなれれば、幸せが幸せを呼ぶ、そんな関係性を築くことができるというわけだ。
]]>