ただ、エゴというのは、顕在意識にもあると思うから、正確には同義と言えないかも知れないので、ここでは潜在意識のエゴを「ディープエゴ」、顕在意識のエゴはそのまま「エゴ」と呼ぶことにする。
ディープエゴはエゴより怖い
昨日公開したYoutubeの動画の内容とも多少リンクするんだけれど、自分の中にある存在は、感情にしても、どちらのエゴにしても、表層の自分では気付きにくいし、コントロールは難しい。エゴを意識していても、ディープエゴは無意識レベルで行動や判断を促すから、どうしようもないとも言える。
「Poma流自問自答のメソッド」でも、すべてを把握したり、逆にディープエゴをコントロールすることはできないので、いずれはそこまで深められる方法を探したいと思っているけれど、少なくとも自問自答のメソッドで、感情が動く原因やディープエゴの存在を認識することはできるし、姿を知ればうまく付き合っていくこともできる。
全く何も知らないよりも、知っているだけで随分違うことは、僕自身も経験しているし、前もって感情やディープエゴを意識しておくことで、自分らしく生きることはできるから、こうしてあなたに伝えることも大切だと思う。
一方で、エゴは一般的に言えばわがままな自分だから、把握しやすいし、指摘もされやすいから、認識出来る分対処法もたくさんあるだろうと思う。
だけど、ディープエゴは深いところで隠れている分、探すのは難しいというわけだ。
隠れていると言っても、その支配力はエゴの比ではない。というか、人を悩ます問題の多くはディープエゴに支配されていることに気付かないことが原因だろうし、気付かないからこそ悩まされるし、こころが疲れてしまうというカラクリだ。こいつは本当に手強い。
例えば、新しいことを始める時に、変化を恐れずに進める人と、怖くてやめてしまう人がいる。そもそも変化を嫌うのが人の脳による怠慢な習性によるものでもあるんだけれど、やめる人がいる一方で進める人がいるんだから、何かしらの原因(こころのハードル)に気付くことで、行動できるようにはなるし、そこからディープエゴまでたどり着ければ、行動への恐れを感じることもなくなる。(但し、行動の種類にもよる)
同じディープエゴに何度もたどり着くことも
但し書きで書いた種類と言うのは、実はディープエゴと言うのは、どんな問題(入り口)から深掘るかによって、経路が異なったり、たどり着く場所が違う。着く場所が違うと言うのは、ディープエゴは一つだけじゃないってことだ。
そして、経路が異なるとは、たどり着く場所(ディープエゴ)は同じだけれど、入り口が違うから、別の問題の根本が一緒だったというパターンになる。
つまり、ひとつの問題でディープエゴに気付き、そこを解消できたとしても、ディープエゴそのものは他にも根を張ってるから、完全に消せたわけじゃないんだよってことだ。ディープエゴは、まるで蛇のような執念を持っていると思ってもらえばいい。
だから、自問自答の結果が同じだった時のうんざり感はデカくもなる。また結局、コレがネックなのかと、、、
さらに、以前書いた[現在地]の記事で、入り口が大切だと伝えたのは、入り口の本質を間違えると、実は入り口の本質は同じことなのに、問題が違うからと、本質を見誤って自問自答し始めたら、余計に手間が増えてしまう。
どいうことかと言うと、入り口の本質が、実は同じだった問題にあらかじめ気付ければ、「あ、これは前と同じ入り口だから、あのディープエゴなのか」と深掘りせず、時間をかけずに正体に気付ける。なのに、入り口からして間違うと、労力と心力を使って、「あれ?あの問題と同じディープエゴやん」と無駄足に徒労感まで感じて、余計に疲れてしまう。
だから、こういう点でも、自問自答は、まずは[現在地]をしっかりと見定めることが一番重要なのだ。今回は[歴史]のフェーズの話だったんだけどね。
そろそろ締めるけど、このディープエゴはあなたにとって、悪い存在ではないと、無意識にそう思っている。自分があなたを支えているとさえ思っている。
エゴ以上にワガママと言うか、もう言葉のまんま唯我独尊なのだ。
だから、消すこと、書き換える事は難しい。だけど、どんな存在かを知り、どんな姿かを知っておけば、とりあえず付き合っていける。そして、付き合う中で、少しずつ手離して行くしかない。
そんなことを繰り返すことで、やっと本当のあなたとして、あなたらしく生きられるようにもなれる。あなたの感じる問題の数々の根源でもあり、無意識で引き起こされる違和感の正体でもあるディープエゴ。
こいつとどう向き合えば、あなたの人生が楽になっていけるのか?自問自答でそれを探ってみてはいかがだろうか?
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