だから、ブログに書くなんてのは余程だと思って間違いない。
但し、今日勧めるチャンネルは、「日本の歴史を知りたい方」に限って勧める。
ボクは歴史が好きなんだけれど、世界史よりも日本史が好きだ。
なぜかと言われると「これ」って答えはないけれど、自分の国の歴史を嫌いってのは、オカシイ、と思う。
日本が嫌いなら出ていけばいいやん?
今やその程度の話じゃない?
日本が嫌いやのに、日本語しか話せないなんて、ちゃんちゃらオカシイし、日本でしか生きられないのに日本が嫌いってのは厚かましいだけでしょ?
それは、そもそも「日本」が嫌いなのか、住んでいる「そこ」が嫌いなのかを見定めてから、語るべき問題なのかも知れない。
何も調べることなく、今の環境だけで国のことを判断するのは早計だろうし、もしもあなたが日本人なら、自分の親祖先を育んでくれた土地のことを知らずして憎んだり嫌いになるのは、哀しいとボクは思うのだけれど。。。
ってことで、ボクには愛国心!みたいな強く誇れる想いはないけれど、日本が世界で一番好きだとは言える。
だけど、今の日本ではなく、紡がれて来た日本の歴史から感じる日本の思想や概念が好きなのだ。
何より最高なのは、八百万の神って考え方だ。
厠(トイレ)にさえ神様がいるなんて、最高やろ?
八百万ってのは、800万の神様がいるって意味ちゃうでって注釈はいるのだろうか。八百万というのは、たくさんのって意味合いで使われるから、平たく言えば、何にでも神様は宿るよ。ってことだ。
スマホにも神様はいるだろうし、電動キックボードにもいるだろう。
人間が目にするモノ、触れるモノ、聴くモノ、匂うモノ、ようするに感じるモノすべてに神様が宿るってのが、八百万の神って概念なのだ。最高じゃないか。
だから、ボクは古事記や日本書紀を直接読んだことはないけれど、日本の神話が好きだし、フィクションとノンフィクションが曖昧になってる感覚も大好きだ。人生はそれでいいとさえ思っている。
自分の人生を語るとき、フィクションも語れなければ、人間じゃないだろう。
人が人たり得るのは、フィクションをノンフィクションが如く伝えられるからだ。ニホンザルにそんな能力はないから、彼らはサルのままなのだ。
でも、記紀がフィクションだから嘘って話ではない。曖昧でしかない。史実に則って創作してるはずだ。記紀は創作と史実を混ぜてるから傑作なんだと思う。
それくらいに日本の歴史が好きな人なら、ボクの勧めるチャンネルは「面白い!」と感じるはず。
それがタイトルにある「むすび大学チャンネル」だ。
なかには「何言ってんのか、意味わかんない」「傾倒しすぎ」ってのもあるけれど、概ね面白い。
ボクらが教えられて来た政府の教えたい日本史と、本当かも知れない日本史を知ることは、自身の持つ視野を広げてくれる。
どちらを信じる必要もない。
ただ、政府が正しいと盲信するのも危うく、逸脱しそうな思想に傾倒するのも危ういということを学べたくらい、ボクにとっては視野の広がるチャンネルだし、日本を好きになれるチャンネルだ。
歴史は、古くなればなるほど、誰にも「答え」は分からない。
安土城が織田信長の命令で築城されたって言うけれど、それがほんまなのかどうかをハッキリと証明し、信じさせることは、現代人の多くの人の目と耳で本人たちから聴く以外に手段はないのだ。
だけど、本人たちはいない。
ってことは、歴史の何が正しいかは、今起きていることを体感し、実感としている者たちにしか分からないってことだ。
ならば、歴史を「正しい」と思われるように解釈するのも、「面白い」と思われるように解釈するのも、「都合がいい」と思われるように解釈するのも、今を生きているボクたちの楽しみ方の一つに過ぎないってことじゃないだろうか?
ボクでさえボクの歴史を語れないのに、誰がボクらの歴史を正しく語り継げるというのか?ってことだ。
そんなわけで、今を生きる人たちが、それぞれの解釈で「ワクワクするよう」に解説してくれるむすび大学チャンネルは、ボクの中では、日本史に興味がある人たちにはオススメしたいチャンネルだ。
特に、自分の行いや思想が「正しい」と驕り高ぶっているとも気付いていない、謙虚さを忘れた人たちには、視野を広げる意味でもたくさん見て見聞を広めて欲しいと思う。
人の数だけ事実がある。
そんな意味でも、むすび大学チャンネルは、押し付けをやめるキッカケになるかも知れない。
自戒。
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